ろくべん館だより

『山の犬』

明治四〇年生まれの人の話の中に、「家の横の方に、昔、唐臼(からうす)というものがあってな、そこへ山の犬が来るもんで、おやじがそいつに鉄砲を向けといて、山の犬が来たら撃てる様にこせえといたけどな、何回来ても、ちょっとも撃てなんだという話だった。」とあった。

思いがけず耳にした「山の犬」という言葉に、少なからず驚いた。山の犬とは狼のこと。日本で狼が最後に捕獲されたのは、記録の上では明治三八年となっている。私の感覚では、はるか昔に絶滅してしまった種だと思っていた。それが明治四〇年生まれの翁の口から出た「山の犬」の言葉に、まだ体温を保っているかのようなぬくもりを感じたのである。

記録上は明治三八年となってはいるが、伊那谷の聞き書きを読むと、大正に入ってからの目撃談もいくつか残っている。記録を書き換えるには、それだけの根拠に乏しいということなのだろうが、狼に関する記憶は、この地域では私が思うほど遠くなってはいないのかもしれない。

ある六〇代の人の話では、おばあさんから狼の話を聞かされたという。子供の時分に、暗くなってから外を出歩いていると「山の犬」が来るぞ、とよく戒められたという。そんな戒めの材料にされてはいるが、おばあさんの話に登場する狼は、物語に出てくるような怖い存在だとか必ず悪さをするもの、というイメージではなかったという。実際、人の後を付いて来ることはあっても、襲いかかることが目的というわけでもなく、好奇心から付いてくることが多かったらしい。ただ逃げたり転んだりしたものに対しては別で、それは犬の習性と近い。

  猟師だって狼に対しては、人を襲って来ない限りやたらに銃を向けることはなかったという。それには、狼は山神の使いという信仰が生きていたという理由もあるだろう。またそれだけでなく、実際のところ、人も狼に依存する理由があったようだ。  というのは、焼畑農業が盛んに行われていた時代、焼畑は鹿や猪の格好の餌場となり、それらの動物が出現する焼畑が、狼にとっては最良の猟場となったからである。だから狼は、人間にとっての害獣を追い払う益獣でもあったわけだ。

  その昔、集落の周辺で焼畑が行われていた地域では、狼に追われた鹿が、夜、灯りを点した人家に逃げ込んできたという話や、あるいは当の狼が家の中に入って来たという話もあるそうだ。

  しかし焼畑を介してこんなふうに人間社会に近づくことが、結局は狼の存在を危うくさせる一因ともなっていった。人間社会に少なからず依存するようになった狼は、焼畑の減少とともに衰微していった。食糧事情が悪化するにつれ、牛馬などの家畜を襲う回数も増えていったにちがいない。中には飼い犬を襲うものもあり、飼い犬から狂犬病が狼に伝染し、狼の絶滅に拍車をかけたともいわれる。病にかかった狼は出没すれば、見境なく人畜に被害を及ぼすので、直ちに始末された。人間社会に知らず知らずのうちに深く入りこんだことが、狼の命取りになったといえるのだろう。

  こうしてついにはこの伊那谷からも姿を消してしまった「山の犬」だが、みなさんの家のおじいちゃんおばあちゃんは、まだ子供の頃に狼の話を聞いた記憶を持っているかもしれない。そんな話があったら、ぜひ聞きたいものである。ただし、いまどきの子供たちには「狼が来るぞ」という威しは、もはや通用しないだろう。