ろくべん館だより

『縄文の衣』


 遠方の未知の女性からの、突然の電話であった。
 先方は広島に住む六十代の方で、縄文時代に人はどんな衣服を身に着けていたのか、自分で探りながら作っているのだが、と話し始めた。昨年一年かけて、縄文時代からの布の製法とされるアンギンという編み方で、自分なりに古代衣を作ってみたという。材料はその方の住む土地に多くある「楮(こうぞ)」を使ったという。アンギンの語源は「編布(あみぎぬ)」で、その編み方というのは、ちょうど俵を作るのに似ている。
 刈ってきた楮を蒸して皮をはぎ、晒し、砧(きぬた)打ちし、繊維を繋いでいく緒績み(おうみ)といった作業を延々続けた後に、やっと布に編んでいく。そうして編み上がった布はゴワゴワとして、現代の衣服のように柔らかくもしなやかでもない。それをまた砧打ちして、着用できるくらいに柔らかくする。試行錯誤を繰り返しながら、完成までのこうした作業に実に一年近くを費やしたと語った。


 その女性を仮にSさんと呼ぶことにして、なぜそのSさんがろくべん館に電話をかけてきたのかというと、古代の織り方をたどっているうちに、機という道具が発明される以前のこと、簡単な木枠を使って縦糸を張り、そこに横糸を絡めて行く「横編法」というやり方があることを、尾関清子氏の著書『縄文の衣』の中で知った。そしてその本の中で紹介されていたのが、大鹿で昔使われていた藁製の敷物「ねこ」だった。「ねこ」は、まさしくこの「横編法」で編まれたものだった。そこでSさんはもっと詳細のわかる「ねこ」の写真を送ってくれないかという用件で電話をかけてきたのであった。
 「ねこ」は「むしろ」によく似ているが、その編み方は「むしろ」より複雑で、丈夫であるばかりでなく編み目も美しい。枠に張った縦縄に、二本の藁を捩りながら横に編み込んであり、出来上がりを見ると、まるでメリヤス編みのような模様を持つ。この土地では主に敷物として使われてきた物だが、他には同じ編み方で作られた背負い袋「いじっこ」というのがあるくらいで、この方法で布が作られたという話は聞いたことがない。
 しかし山形県の押出遺跡など縄文時代の遺跡から出土した布の圧痕の中に、横編法で作られた布が確かにあるそうで、それをヒントに、それまでアンギン編みの次は平織りと考えていたSさんは、考えを変えて横編法を試みることにしたのだそうだ。
 実際に編み始めてみると、コツが飲み込めないうちは一日かけて一cmぐらいしか進まなかったそうだが、楮の靭皮を使って横編法で出来る布は、アンギン編みよりも厚地で保温性もあるように見え、砧打ちしたらより布らしくなりそうだという。やり始めてみると、Sさんの思い描く古代衣製作にしっくりと合ったようで、これから先、おそらく数ヶ月をかけて製作に励むとのことだった。


 意外であった。「むしろ」は布の平織りによく似ているが、この「ねこ」の製法で布を編むとは考えてもいなかった。それと同時に縄文の布と「ねこ」の間を流れる、人間の技術の長い歴史を思い知らされた。縄文の時代に、誰かがひらめき、創意工夫し、改良を重ねたどりついた技法が、つい先頃まで生き続けてきたのである。
Sさんは古代衣を作る前にこんなふうに考えたという。自分を何もない状況に置いてみる。つまり自分が縄文時代に生きる女性で、家族の体をくるむ衣服をどうやって作ろうかと考えているとする。その材料は?形は?と考えたら、先に一年かけて作った古代衣になったという。Sさんの創作意欲は、その想像力に源泉があるようだ。たとえば縄文時代の私に赤ん坊が生まれたら、何でくるんであげるかしら。その時代に柔肌に適したような布など手に入るものではないから、きっと自分が着古してしなやかになったボロ布でくるんだんじゃないかしら。そんなふうに想像し始めたら止まらないのだそうだ。
  後日、手紙とともに送られてきた、Sさんが定期的に出している通信の中にこんな文章を見出した。
 「家族の為に身を粉にして一生を終えた名もない田舎の女性たちは、必要な衣類を調えるのにどれほどの時間と根気をかけたのだろうかと感じざるを得ません。今日私達は家族の為に衣を調えることなどが安直になった分、布の命と一緒に何か大切なものをも軽んじているのでは、との思いもあります。先人達への畏敬の気持ちと現代を見つめ直すためにも、ライフワークとして昔の人の衣の手だてについて学ぼうと心に決めました。」
思いがけずかかってきた電話が、熱い思いに触れたひと時となった。