ろくべん館だより

『周防大島への旅』その2


 八月一日に開催された「宮本常一生誕一〇〇年記念の集い」は、ノンフィクション作家佐野眞一さんの講演会と俳優坂本長利さんによる一人芝居「土佐源氏」の上演、そして夜には地元の郷土大学主催となる「車座談義」という盛り沢山のメニューであった。
 午後からのイベントを前に、連日の快晴と藍色の海を目の前にしたら、どうしたってせずにいられぬことを、その日の午前中はしようと決めた。海水浴!・・・この機会を逃したら、山に囲まれた大鹿に帰ってから後悔すると思った。前日に車窓から見た海水浴場は、人工の砂浜にレジャー施設の白い建物という、いかにも観光リゾートを絵に描いたような景色だったので、できるだけ昔のままの海水浴場を宿で教えてもらってバスに乗った。瀬戸内の海は台風の前というのに、のっぺりと静かな海であった。小さな海水浴場はがらがらで、幸せにもきれいな海を独り占めにした。それだけでもう十分にこの夏の旅を満喫させてもらった。


  会場には五百人近い人が全国から集まり盛況であったが、その中で働く町の職員のアロハシャツが目を引いた。周防大島からはハワイ移民が多く出ており、カウアイ島と姉妹島の関係を結んでいる。制服のアロハシャツは色とりどりで、明るい感じがして好感が持てた。
講演会の講師を務めた佐野眞一さんは、「旅する巨人」「宮本常一が見た日本」等の著作により、宮本常一再評価の機運が熱する先鞭をつけた人である。その彼が講演の中で「もう宮本を褒め称えることはやめようじゃないか」と語るのを意外に思い、耳をそばだてた。宮本常一が生前どんな活躍をしたかを列挙した後に、「しかし」と先の言葉を続けたのであった。「宮本の業績を"顕彰"するよりも、宮本の精神を"継承"することの方が大事」だというのが、本当に言いたいことだったとわかった時、「ああ、なるほど」と深く頷けた。「民俗学は過去を振り返るための学問ではない。よりよき未来を拓くための学問だ。」と、停滞した地域の復活を願って日本全国を歩き回った宮本の精神を、どう生かしていくかがわれわれに残された次の課題だと佐野さんは講演を終えた。
 宮本は晩年近くなって、郷里に「郷土大学」を立ち上げた。島の若者に向けて、地域の歴史を知ること、そして地域から日本を見る眼を持つことの大切さを説き、亡くなるまでに八回の講義を行なった。郷土をよくしようと思う日本人が出てこない限り、日本は決してよくならないという、病身を押しての彼の熱弁は、郷土の人々の心を揺さぶった。彼の没後休止していた郷土大学は、かつての受講生たちが中心となって、2003年に再開された。今では全国から受講生を募り、インターネットを通じて情報を発信している。佐野さんの提唱する「宮本精神の継承」を、まさに先端で実行している。
その夜の車座集会への参加者は八十人くらいかと思われる。郷土大学のスタッフを中心に、日本中からさまざまな宮本ファンが集まり、講師の佐野さんを囲んだ。酒も入り和気藹々とした雰囲気のその席で、前日に訪れた沖家室島の泊清寺の住職に会うことができた。彼もまた郷土大学出身者であり、現在の主要メンバーである。京都の大学を出た後、本来自分が継ぐはずではなかった寺に戻って来た時に、自分は敗残者のようであったという。島での将来に何の希望も持てなかった。それが宮本先生に出会うことによって、ここがどういう歴史を持った土地であるのか、ここにはどんな寺があり、いつ建ったものか、建てた大工は誰であったのかまでつぶさに学び、次第に自分の郷里と自分の寺に誇りを持つようになったと語ったのが印象的であった。「私の寺は立派です。」と胸を張る彼は、沖家室島の頼りになるリーダーとしてだけでなく、先人の教えを糧にして、現在周防大島町の町議会議長として活躍している。


 宮本常一は「民俗学の旅」という著書の中で、こう書いている。
 〈私は長いあいだ歩きつづけてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。それがまだ続いているのであるが、その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。停滞し、退歩し、同時に失われてゆきつつあるものも多いのではないかと思う。失われるものがすべて不要であり、時代おくれのものであったのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。
 少なくとも人間一人一人の身のまわりのことについての処理の能力は過去にくらべて著しく劣っているように思う。物を見る眼すらがにぶっているように思うことが多い。
 多くの人がいま忘れ去ろうとしていることをもう一度掘りおこしてみたいのは、あるいはその中に重要な価値や意味が含まれておりはしないかと思うからである。しかもなお古いことを持ちこたえているのは主流を闊歩している人たちではなく、片隅で押しながされながら生活を守っている人たちに多い。〉

 かつて宮本常一は日本中の農山漁村をめぐり、名もなき人々の声に耳を傾けたが、私も今一度失われゆく古きものに耳を澄ませてみたいと思う。