ろくべん館だより

『オオシカの村』再考


 『オオシカの村』は、一九九三年東海テレビ制作のドキュメンタリー作品である。昨年東海テレビが自社の五〇周年記念番組の一つとして再放送し、大鹿チャンネルでも再々流されたことから、村内の人々の記憶にもそれほど古いものではないだろう。
 この作品はもちろん大鹿村を取材したものであるが、冒頭に「この村を仮にシカのいる村、オオシカ村と名付けよう」というナレーションが入り、あたかも架空の村であるかのような呼び方をしている。つまり大鹿村をというより、ある地図上の一点の「山村」から日本を描き出しているように思われる。それでは「オオシカの村」から、どんな日本が見えてくるのだろうか。
 村は地質的にも文化的にも古い歴史を持ち、その痕跡をとどめている。日本列島の溝、大断層が谷となって走る中央構造線に沿いながら、深い山に囲まれたその中にオオシカの村はある。古来、日本人が糧を得てきた農耕はもちろんのこと、それ以前からの手段である狩猟や山からの季節の恵みを享受する採集も、山の人々の暮らしの中には今も残っている。山畑の絶えず落ち行く土を、下から上へ下から上へと耕し続け、日々きつい労働に耐えながら、人々は坦々と種を播き収穫を迎える。その一方、ハレの日ともなると山の民はやんごとなき貴人にもサムライにも、あるいは世の憂さを笑い飛ばしてしまう道化にだってたちまちのうちに化け、演じる方も観る方も芝居の世界に一日を興じて過ごす。その「歌舞伎」は江戸の中頃から三百年近く受け継がれて来た。
 山また山の奥地には、昭和の経済成長もまるで関係ないかと思われた頃、村を大災害が襲う。災害の後は、経済成長の余波の及ぶ土地へと人口は流出し、それからも人口は減少を続けた。今では成人式を迎えた若者のうち、村にとどまる者はごくわずかとなり、進むのは高齢化と過疎化ばかり。
 しかし、カメラの描き出すオオシカの村はけっして暗くはないのだ。人間は働くために生まれてきたのだよ、と語る老女の顔も、いろいろなことがあって長いように思える人生だって、宇宙からみたらほんの一瞬のこと、と語る天文老人も、深い哲学をもった言葉を語る顔はなんとも美しい。一生を働き続けて老いた人々が、今ではゲートボールを楽しみ、火を囲んで紅葉を眺める時のなんと穏やかな顔つきをしていることか。歌舞伎に子供の頃から夢中だった老名優は、長い苦労を物語る素顔とごつい手を持ち、それがそのまま重厚な演技へと結実している。かたや白菜畑を舞台に包丁片手に見せ場を演じる農夫は、実はたぬきが化けているのではないかと想像してしまうほど、心が小躍りするような世界を繰り広げる。こんなふうに人が心豊かに年老いて行ける世の中が、都会にははたしてあるのだろうか。
 そんな村の暮らしに惹かれて都会から移り住んできた若者たちも、今や中高年となりそれなりに定着をした。村の人口は確実に減ってはいるものの、その下降線の角度をわずかばかりゆるやかにする程度だとしても、新しい住人だって増えてはいるのだ。
 世の中がどんな浮き沈みに翻弄されても、オオシカの村には普遍的で確固とした暮らしが営まれて来た。二〇世紀路線の行き詰まりともいえる現在の経済状況は、人々の目を否応なく忘れられてきた日本に向けさせつつあるのではなかろうか。
 『オオシカの村』を我が村と見る前に、架空の山村と見てみたら、こんなふうに日本が見えてくるように思うのだ。


 この作品を監督した松川八洲雄さんは多くのドキュメンタリー作品を残し、国の内外で高い評価を得てきた。その松川さんは、大鹿村にルーツを持つ人である。父親の出身地が大鹿村であった。
 かつて松川さんが、日本を海外に紹介する作品『JAPAN』を制作した際、従来のフジヤマ・ゲイシャ的発想を嫌い、彼は独自の歴史観を確立することの必要性を感じていたという。そうした時に出逢った民俗学者、宮本常一は松川史観に大きな影響を与えることとなる。それを彼はこう書き記している。
 「こうした時宮本常一氏と逢い、殆ど時を忘れて熱っぽく日本常民の系譜を語る氏の言葉に非常に多く啓発されたが、とりわけ僕の父の出生地である長野県下伊那郡大鹿村に話が及び、氏がまさに大鹿村こそ日本であり、その農山民こそ日本人であると喝破されるのをきいてアッと目のうろこが落ちた。何も京都や奈良を探しまわることはないのだ。肩身せまく辺境をかくして、カッコイイかみしもから背広にネクタイの"日本"を描く事でなく、おのれ自身が日本人であり、その村こそ日本に他ならぬではないか。」


 『オオシカの村』を、日本で一番後ろに置かれた村と表現した松川さんは、村に宛てた手紙の中でこうも表現している。周回遅れでトラックを走るランナーが、時としてあたかも本当のトップランナーよりも先頭を走っているように見えることがある、それが大鹿村なのだと。
 二〇〇六年の一〇月に松川八洲雄さんはこの世を去った。松川さんは、青木の谷を正面に望む、この大鹿村文満の地に奥さんと共に眠っている。生前大鹿が大好きだった奥さんのよし子さんは赤い墓碑、八洲雄さんは青い墓碑、四季に咲く色とりどりの花に囲まれ、オオシカの村は松川夫妻の永眠の地となった。