ろくべん館だより

『大鹿流エコロジー』


 今から二〇年くらい前、村に住み始めたころ、周囲の人々の暮らしぶりを見回すと実に驚かされること、感心させられること、教えられることがごろごろと転がっていた。
 それまでの街暮らしに比べたら、最奥の集落での暮らしは、ざっと三〇年くらいは時代をさかのぼったような気がしたものだ。
 まずは住まいからして、一言でいえば自然が近い。冬に住み始めたので、窓、壁、天井のすきまから、冷たい風が入り込むのには泣かされた。厚い壁と、すきまなくぴったりと閉まるサッシの窓やドアでつくられた家とは勝手が違った。そして家の中に土が入り込む。まず、家の中に土間という土が存在する。ストーブ用の薪を外から運び込むと、木くずが床に落ちる。風の強い日には天井から長年の煤と埃が舞い落ちる。清潔好きはきっと住めない、と思われた。
 そのかわり、春の夜明け、ウグイスの鳴き声、雨の匂い、青草を刈った匂い、秋の夕暮れの空気、雪の降る音、季節や天候の変化など外の気配が家の中にいても手に取るように感じられる。自然はいつでも身近に存在する。屋内でありながら、外気や大地が近く感じられるのも、いつの間にか、汚れることを気にしない気楽な暮らしへと変わっていった。
 当時、集落の水は沢の湧水口から引かれていた。夏でも冷たい、澄んだおいしい水だった。集落の年寄りは、「この水は、貯水槽を覗くと浮遊物ひとつない、神秘的というくらい透明度が高く、水質も水量も申し分ないものだ《と教えてくれた。汚れた水を浄化して水道水としている都会にくらべたら、なんとかけがえのないものだろう。
 周囲の年寄りたちはみな、本当によく働く。一日中畑にいた。だから畑には草一本はえていなかった。雨の日でも、おじいまは鎌研ぎをしたり、縄ないをしたり、おばあまは家の中の片づけをしたり、繕いものをしたり、漬物をつけたりと休む間がない。しかし、話を聞けば、昔はもっと働いたのだという。
 むかいの山にも焼畑を耕し、雑穀や豆を作った。冬になれば、それよりもっと高いところで炭焼きをした。一日中、少しでも明りのあるうちは働いた。めんぱというでっかい弁当箱に五、六食分くらいの、米より麦の多い飯をぎゅぎゅっと詰め、みそをおかずにそれを食べたのだと話してくれた。「めしが仕事をした《という言い方をした。どんな粗食であっても、食べた分だけ働いたということなのか。
 家族みんなの一年分の食糧を自給するというのは、これほどの労働を必要とすることなのだと初めて知った。そうだ、食べ物はお金を払えば買えるのではないのだ。それを作ってくれる人がいるから、私たちは買って食べることができるのだと実感した。
 食べ物に限らず、おばあまたちは物を大事に使う。砂糖の袋、海苔の袋、丈夫なビニール袋は洗って干してある。おばあまたちからもらうお裾分けは、そんな袋に入れられていた。捨てたらただのゴミを、繰り返し繰り返し使う。
 昔はごみの収集など誰もしてくれないから、すべて自分で処理していた。たまに畑の中から、瀬戸物のかけらやサンダルのゴム底が出てきたりするのはその吊残り。処分に困るゴミは時代と共に増えてきた。土に還らない。そして土や水を汚す。自分たちの排泄したものも、もちろん自分で処理をする。そして畑の土に還すのだ。すべてが自分たちの生活圏内で循環していた。
 必要なものは、得られる材料で工夫を重ねて創り出してきた。そんな人たちだから、無駄を出さない。手に入るものの貴重さを知っている。必要以上のものを求めない。世の中の『便利』とか物質的な『豊かさ』という言葉に翻弄されない人々が、ここには暮らしてきた。この土地に住んでみて、初めて『足るを知る』ということの意味を知った。
 古来、人は山に住んだ。豊かな資源を有するからだ。木材、燃料、食糧、水・・・。「こんな山奥に《という言葉は、「こんな山奥だからこそ《と言い換えられるべきだろう。


 村は毎年のように停電を経験する。夏は落雷で、冬は雪の重みで倒木が原因となる。オール電化などという生活をしていると、こんな場合、それこそ生活がたちゆかなくなる。いざという時、薪で暖をとれることとか、ストーブで煮炊きができることなど、現代の便利な道具に頼らなくてもやっていける方法を有することが、なんと心強いことか。自然の恵みを享受する暮らしとは、物質的な豊かさとは別の意味の豊かさを持つ。
 しかし反面、自然は厳しい。村には、いたる所に八百万の神を祀った小さな石碑が存在する。それだけ自然の力、見えない力を畏れ敬い、人間に味方してくれるように祈ったあかしなのだろう。
 自然の圧倒的な力の前に、山に暮らす人は謙虚であった。山懐に抱かれて暮らすには、それだけの努力が人間に求められる。人間が油断している間に、あるいは上在にしている間に、農地も住処も土地はどんどん山に還ってゆく。遊休農地には、あっという間に木が生える。山の獣たちに奪われ、自然災害に痛めつけられ、何度苦しい思いをしても、村の人たちは途切れることなく努力を積み重ねてきたのである。
 最近読んだ本の中に、こんなことが記されていた。古来、山は神の住むありがたい場所だった。そしてまた、山奥に住む人も、下流の人々から尊敬を受けた。「山の人《と書けば、「仙人《と呼ぶ。下流に住む人々は「谷の人《と書いて、「俗人《と呼ぶのだと。
 ズクなしの俗人たる移住者として、二〇年余り昔に出会った仙人たちを、今も尊敬の念をもって思い起こす。このところ、とんと聞く機会を失っている仙人たちの語る話を、まさに今、再び聞かせてもらいたいものだと思う。