ろくべん館だより

『ダムに沈んだ村』


 「ここは、いいところですね《とその人は言った。
 玄関に腰を下ろし、トレッキング・シューズを履きながら、しみじみとそう言った。
 そういった褒め言葉には、いつも通り「はい、本当にいいところですよ《と返事をすることにしている。
 かの客は続けて、「わたしは岐阜から来たんですけど、岐阜にもいいところはあったんです。しかし、そういうところはめっきり減ってしまいました《と言った。


 かくいうわたしも、生まれは実は山の中なんですよ。八百津町というところです。中心部は多少にぎやかですが、わたしの生まれた集落はずっと山道を上ったところにあって、静かな集落です。ご存知ないと思いますが、八百津というのは杉原千畝という人の出身地なのです。そうです、ナチスの迫害から逃れようとするユダヤ人に、リトアニア領事館で日本の通過ビザを大量に発給したことで知られる外交官です。町にはその杉原千畝の記念館もあります。その辺り一帯が公園になっていて、わたしの育った集落へは、そこを通って行くんです。
 現在、わたしは多治見に住んでいるのですが、山が好きなので時間があると出かけて行きます。そうすると麓の山村も通るのですが、こんなふうに静かな昔ながらの村というのもたまに出会うわけです。しかし何年か経って同じ村を通りかかると、様変わりしているということも珍しくありません。
 岐阜県の中でも、徳山村という所は本当にいい村でした。ダムに沈むということを耳にしてから、私は何度も通いました。湛水が始まったと聞いたときにも行きました。私が行ったのは新緑の時季で、きれいな谷に水が溜まってゆくのをずっと見ていました。学校も人家ももちろん、人の気配のあった場所が水に沈んでいくばかりでなく、折からの萌え出した山々も徐々に水に沈んでゆきました。ちょうど藤の花が満開で、その垂れた房にむかってだんだんと水位があがってゆくのです。


 お客さんの話をききながら、あたかも目の前に描かれているかのように絵を想い浮かべ、胸がきゅんとしめつけられるような気がした。
 そのお客さんの訪問のあと、そういえば徳山村のおばあさんが、消える故郷を残そうと写真を撮って本にしていたことや、村を記録した映画があったことを思い出した。そうだ、この冬のドキュメンタリー上映会はこれにしようか、と考え始めていた。
 映画「水になった村《は写真家・大西暢夫が、集団移転の決まった後誰もいないだろうと思っていた徳山村に、村が沈んでしまうまではここで暮らしたいと戻ってきた老人たちがいることを知り、彼らの暮らしを15年にわたって記録したものである。
 山菜の季節になれば毎日のように山に出かけ、それを加工し保存する。塩さえあれば家族をお腹いっぱいにできる、の言葉通り大きな樽に山菜や野菜を漬け込む。自分の畑から収穫した小豆で作ったボタモチは、あきれるほどでかい。徳山では、みな食べるために、働く。働いて、よく食べる。自分の好きなところに行って、好きなものを摘んできて食べる。
 わしは糸の切れた凧のようなものでないかしら。この幸せをみんないただいていいんかなあ。ここには水の神、光の神、風の神、たくさんの神さんやご先祖さまがいて、わしらの暮らしを見守ってくれている、と感謝して手を合わせる。笑い声の絶えない山での暮らしが、映像として残されていた。
 いよいよ重機がやってきて、家が壊される日、大きな音で壁がはがされ、屋根が落ちていく中でも、まだ漬物の樽の中身を移しかえ、なつかしい品物の思い出を語る。潰されていく家に向かって手を合わせ、「情けない《とポツリ、涙を浮かべた。
 試験湛水が始まったというニュースをよそに、移転先の新しい家で老婆は語る。
 ここは仮の住まいぐらいに思っとるんや。本当の住まいは徳山やなあ。どっか旅館に行って泊まってるような気がする。買い物は、週に2回くらいかな。夜は7時頃夕飯を食べる。それから寝るんよ。夜中に目が覚めると、またテレビをみてな。
 山家におればよかったものを、こういう金のかかるところに出てくると、毎日「金《やで。それでエライのよ。その金もな、天から降ってきた金やでな、早い話が長持ちはせん。いうてみれば何にもない、ハダカや。財産ていうものはなんにもない。家だけやで。みんながそうや。一時的に金が入ったら喜ぶけれども、あとにはなんにも残らん。先祖から受けた財産を一代で食いつぶしてしもうた。山を売ってもうたら、なんにもないのや。
 満々と水を湛えたダム湖が映し出され、老人たちの笑い声が響いた村は幻だったのかと思える。
 大西監督は、「ダム反対と評論するのは簡単だけど、結局ダムを望んだのは僕たち都会の人間だった。僕たちの生活は、膨大なエネルギーを使いながら生活している。冬のトマトを食べること一つとっても、ものすごいエネルギーだ。この生活サイクルに歯止めをかけないと、ダムはいくらあっても足りない《と言っている。


 徳山村のことを教えてくれた人の「いいところですね《という言葉が、胸に沁みた。そういえば、東北では美しい村々がいくつも失われてしまった。大鹿でもかつて、ダム建設や災害によって集団移転を余儀なくされ、複数の集落が消えてしまった。
 今あるこの村が、いつまでも山に暮らす幸せを享受できる場所であることを、そして訪れる人の口に「いいところだね《と語られ続けることを願わずにいられない。