北川露頭はぎとり標本


大鹿村北川の鹿塩川ぞいの崖に露出する中央構造線露頭から、
断層中心部の2.5×3.5mを接着剤とFRP(ファイバープラスチック)で固め、
人力で掘り取りました。

裏側からFRPで固めなおし、はじめの表側のFRPを取り去ることで、
じっさいの露頭と同じ面が見えるようになっています。


北川では、鹿塩川が蛇行して中央構造線を切って流れ、
川ぞいの崖に中央構造線の断面が見えています。
中央構造線を境に、できかたがちがう岩石が接しています。
左が伊那山地側、右が赤石山脈側です。

内帯(ないたい)と外帯(がいたい)


中央構造線は、中生代(恐竜の時代)にできた日本列島の骨組みを
大きく組み替えた大断層です。

西南日本の、中央構造線の日本海側を内帯、太平洋側を外帯といいます。

中央構造線を境に、
内帯側の領家(りょうけ)変成帯と、
外帯側の三波川(さんばがわ)変成帯が接しています。

「変成岩」とは、岩石が地下で高い温度や圧力を受け、固体のまま化学反応が起こり、もとの岩石の鉱物が別の鉱物(変成鉱物)に変わってしまった岩石です。もとの岩石のちがいと、温度や圧力のちがいにより、異なった変成鉱物の組み合わせをもった変成岩ができます。同じ時代に同じ温度と圧力でできた変成岩が、広い範囲で連続して露出している地域を、ひとつの「変成帯」といいます。

領家変成帯

中生代白亜紀の約1億年前に、領家変成帯の岩石は、高温のマグマが上昇してきたために地温が上がり、高温低圧型の変成岩(片麻岩)に変わりました。入り込んできたマグマは、地下で固結して花崗岩になりました。


片麻(へんま)岩(泥質片麻岩):もとは堆積岩の一種の泥岩。高い温度を受けて黒雲母ができています。キラキラと赤銅色〜金色に光っているのが黒雲母です。


花崗岩:岩石が溶けて液体になったものを「マグマ」といい、マグマから冷え固まった岩石を「火成岩」といいます。花崗岩は、石英分が多いマグマが地下でゆっくり固まってできます。石英分が多いマグマからは、白っぽい火成岩ができます。マグマがゆっくり冷え固まると結晶が十分に成長できるため、すべての鉱物が肉眼で見分けられる以上の大きさの結晶になっています。

三波川変成帯

領家変成帯の岩石が高温型の変成作用を受けたのと同じ白亜紀に、三波川変成帯の岩石は、圧力が高い(深い)けれども地温が低い場所にあり、低温高圧型の変成岩(結晶片岩)に変わりました。


結晶片岩(緑色片岩):高い圧力が、かたよってかかったため、低温のゆっくりした化学反応で生じた変成鉱物が平たく成長し、板を重ねたような岩石になっています。緑色片岩のもとの岩石は、海底に噴出した玄武岩が変質した「緑色岩」です。


結晶片岩(黒色片岩):もとは泥岩。低温での化学反応のため、片麻岩のような黒雲母はできていません。平たく成長した変成鉱物がつくる面に沿って、剥げるように割れます。

中央構造線

領家変成帯と三波川変成帯は、条件がちがう場所でできた変成帯ですから、もとは離れた場所にありました。のちに、中央構造線の大きな断層運動(ずれ動き)により、接するようになりました。領家変成帯と三波川変成帯は、少なくとも60km以上の幅の中間部分をはさんで、並走していたと考えられています。
⇒対の変成帯

中央構造線をはさんだ両側の岩石の、横ずれをふくめた正味の移動量は分かっていませんが、多くの研究者が数100kmていどと考えています。

断層岩類

いま露頭に見えている岩石は、もともと地表にあったわけではありません。中生代白亜紀の約1億年前には、領家変成帯の岩石は10〜15km、三波川変成帯の岩石は、15〜30kmの深さにありました。その後の変動で、上昇するとともに地表付近が削り取られることをくりかえし、(沈降して上に地層が堆積したこともあったかもしれませんが、)現在の地表にあらわれています。その間に、いろいろな深さで、くりかえし断層運動(ずれ動き)を受けています。ずれの向きや速さは、時代ごとにちがいます。

ずれ動きを受けると岩石は変形します。断層帯で変形した岩石を「断層岩」といいます。深さにより温度や圧力がちがうため、いろいろな断層岩ができます。
⇒鹿塩マイロナイトと断層岩類


マイロナイト:地温が高い深さ15km付近で、「焼きなまし」を受けながら、壊れることなく延ばされるように変形した岩石。この写真は、花崗岩が変形したマイロナイト。もとの岩石がちがうと、みかけがちがうマイロナイトができます。


カタクレーサイト:温度は低いが圧力は高い深さ5〜10kmで、砕かれながらも高い圧力で固まった岩石です。


断層ガウジ:温度も圧力も低い深さ5kmよりも浅い場所で、砕かれたまま固まっていない破砕物です。破砕された岩のかけらが30%以上残っているものを「断層角れき」、30%以下しか残っていないものを「断層ガウジ」といいます。多くの場合、摺りつぶされた粉砕物が水と反応して「断層粘土」ができています。この標本は、接着剤で固めてから切断研磨したものです。

標本説明

@A白っぽい部分から左側が、領家変成帯の岩石です。白〜淡褐色の部分は、もとの岩は花崗岩です。いったん深部で延ばされてマイロナイトになり、その後に中深部へ上昇し、砕砕と固結をくりかえしてカタクレーサイト(破砕岩)になっています。
B暗色の縞状の部分もカタクレーサイトです。変形と変質で暗色の縞が入ったと思われますが、露頭から採取した試料の顕微鏡観察で、変成岩の破片らしきものがみつかりました。
C右側の緑色の部分は、三波川変成帯の緑色片岩が変形したカタクレーサイトです。黒色片岩の破片が含まれているように見えます。
DF中央の幅1mほどの黒色の部分は、断層ガウジです。他の露頭から得られたデータも合わせると、この断層ガウジができたのは2700〜1200万年前です。この露頭からは1240万年前±70万年という放射年代が得られています。
※断層ガウジの放射年代と赤石時階
E(青矢印)露頭全体に、東から西へ押しかぶさった小規模な衝上断層(水平に近い角度の逆断層)群が見られます。これらは領家変成帯の側にも三波川変成帯の側にも見られます。断層ガウジ帯も切っています。断層ガウジ帯をつくった左横ずれ断層運動から、東西圧縮による縦ずれ逆断層運動に変化したと考えられます。
⇒正断層・逆断層・左横ずれ断層・右横ずれ断層
F断層ガウジ帯の三波川変成帯寄りの部分は、白黒の縞状の粘土帯になっています。現地では雨が降ると水が湧いてベトベトになりますが、乾くとカチカチになります。標本は垂直に立てて展示していますが、現地の露頭の面は少し南向きの斜面です。白黒の縞の形は、右横ずれを示しているようにも見えます。
G(赤矢印)固まった断層ガウジ帯(D)と、粘土帯(F)の境に、スパッと切ったような、断層面の断面が見えます。この断層面は、すべての構造を切っており、この露頭部分に出現した最新の断層面です。ただし、露頭の上に堆積した、鹿塩川の昔の河床れきは切っていませんでした。
※活断層

⇒北川露頭現地
⇒安康(あんこう)露頭


※放射年代と赤石時階
これらの年代は、もともと岩石中に含まれる放射性カリウム40が放射線を出しながらアルゴン40に変わる性質を利用して求められたものです。カリウム40は12億年で半分が気体のアルゴン40に変わります。アルゴン40は鉱物結晶中に閉じ込められていますが、断層運動で粉砕され摩擦熱や熱水の上昇で温度が上がると、それまでにたまったアルゴン40が逃げてしまいます。これを「リセット」といいます。その後にたまったアルゴン40と、もとのカリウム40の比率から、リセットされてからの年数が分かります。ただし、それ以前の情報は失われます。また断層運動があっても十分に温度が上がらなければリセットはされません。2000〜1200万年前という年代は、そのころ十分に温度が上がるような環境で、活発な断層活動があったことを示していますが、「それ以後に断層運動がなかった」というわけではありません。

2700〜1500万年前は、日本列島のもとがアジア大陸をはなれて太平洋に向かって移動し、大陸との間に日本海が開いていった時代です。そのときには中央構造線をふくめた西南日本は時計まわりに回転しました。西南日本の東部は、当時の伊豆−小笠原列島の北端だった櫛形地塊と衝突し、現在の赤石山脈から関東山地にかけての地域は「ハ」の字型にめりこみました。このとき水窪から天竜河口沖にたっする「赤石構造線」や、その東に平行する光明断層が生じ、これらの断層と水窪以北の中央構造線を結んで、大きな左横ずれ再活動が生じました。この時代の再活動を「赤石時階」といっています。

1500〜1200万年前には、日本海拡大が終わり、西南日本にかかる力は、南北の圧縮から、南北の引っ張りへ変化したと考えられています。四国の中央構造線では、引っ張りによる正断層と、割れ目へのマグマの入り込みが起こったので「石鎚時階」といいます。赤石地域でも、長谷村の溝口露頭では、入り込んだマグマが固まった岩脈が見られます。北川露頭の約1200万年前という年代も、熱水の上昇をともなったものだと考えられています。断層ガウジ帯のすぐ左の白っぽいカタクレーサイト(@)は、強い熱水変質を受けています。

ただし、伊豆−小笠原山脈と衝突している赤石−関東地方では、紀伊半島より西とは力のかかり方や断層運動の向きがちがっていたと思われます。赤石構造線の南部では数100万年まで断層の運動が続いていたことが確かめられています。赤石構造線と水窪から北の中央構造線を結んだ断層の、左横ずれ運動によるくいちがいは、50〜60kmに達しています。
⇒日本海の拡大と赤石構造線・中央構造線の赤石時階の再活動

※活断層
「活断層」とは、最近の時代にできた地形や地表付近の地層を食いちがわせている断層のことです。最近の時代とは、第四紀の200万年〜第四紀後期の30万年ていどから現在までをいいます。第四紀になってからの地殻変動は現在も続いているので、この期間に食いちがいが生じた場所では、再び同じ向きの食いちがいが生じると考えられます。ただし、地下で食いちがいが生じても、必ず地表にまで食いちがいが達するとは限りません。たとえば1995年兵庫県南部地震のときには、地下の震源断層は淡路島北部西岸の野島断層では地表に達しましたが、神戸側では、六甲山地の地表の活断層には、食いちがいは現われませんでした。しかし、 今回は地表に食いちがいが現れませんでしたが、過去には何回も食いちがいが現れ、これからもくいちがいが現れるだろうと考えられます。

1995年の野島断層のように地下の震源断層の食いちがいが地表にまで達し、地形をずらし、それが侵食されて失われる前に次の食いちがいが現われるということがくりかえされると、地形の食いちがいは大きくなっていきます。そこで、おもに航空写真を使って地形を調べ、地質的データも参照し、断層の出現によると考えられる食いちがいをリストアップした「活断層図」が作られています。1991年につくられた『新編日本の活断層』というカタログでは、200万年前以降にできた地形の食いちがいを拾い出しています。ただし、断層の出現による食いちがいは、線状の地形(リニアメント)となってあらわれることが多いのですが、線状の地形が必ず新しい断層の出現によるとは限らず、侵食によるものもあります。くいちがっている地形面が、ほんとうに同じ時代のものだったか判定できないこともあります。新しい堆積層に埋まってしまえば見えなくなります。そこで人間がどこまで判定できたかにより「確実度」という区分をつけています。

『新編日本の活断層』によれば、中央構造線の北川露頭を含む区間は「確実度3」の「活断層の疑いのある線状地形」、大河原から水窪にかけては「確実度1」の「活断層であることが確実なもの」と評価されています。「確実度1」の区間については、地形の食いちがい方向から、運動方向は「右横ずれ」とされています。


確実度は、「活動度」とはちがいます。活動度とは、長い期間で見たときに、地形が食いちがっていく速度で表します。ふつうの断層運動は、長い間動かずにいて瞬間的に動き、また長い間動かないということをくりかえします。そこで、1000年に1回1mの動きをくりかえしてきた断層も、5000年に1回5mの動きをくりかえしてきた断層も、活動度は同じになります。活動度は1000年平均で表現しますが、1000年おきに動くという意味ではありません。

活動度A級:1000年間に1m〜10mの割合の食いちがい速度をもつ断層
活動度B級:1000年間に0.1m〜1mの割合の食いちがい速度をもつ断層
活動度C級:1000年間に0.01m〜0.1mの割合の食いちがい速度をもつ断層

『新編日本の活断層』では、「活断層としての中央構造線」の、大鹿区間の活動度はC級と評価しています。

地震の記録としては、歴史に記録はなく、地質的な証拠も見つかっていません。南となりの南信濃村では1718年に「遠山地震」が発生しています。このときは、大鹿までは震源域になっていません。北となりの長谷村では、中央構造線沿いの約6500年前の縄文遺跡の直下の地面が液状化していることが、遺跡の発掘調査で発見されました。縄文遺跡そのものに被害はなかったので、遺跡ができる直前に地震が発生したと考えられます。大鹿は地すべり地帯で縄文遺跡も残っておらず、数千年前以前の地表面は失われているため、このときに大鹿まで震源域となったかどうかは分かりません。


奈良県五条付近から西の、紀伊半島西部〜四国にかけての中央構造線沿いの活断層は、A級の活動度をもっています。ただし、地表で見られる「活断層としての中央構造線」の多くは、「地質境界としての中央構造線」とは少し離れた場所に見られます。図は『中央構造線活断層系(近畿地域)ストリップマップ』(旧)通商産業省地質調査所(1994)の一部に加筆したものです。活断層である五条谷断層や菖蒲谷断層と、地質境界としての中央構造線の位置は、一致していません。

なお「活断層としての中央構造線」について、文部科学省地震調査研究推進本部や内閣府中央防災会議などは単に「中央構造線断層帯」と呼んでいます。また地震調査研究推進本部の活断層評価では、三重県より東の中央構造線沿いの活断層は、評価対象にしていません。これは活動性が高く社会的影響が大きいとされた98の「断層帯」を選び、それらから評価しているためです。しかし、評価対象である98断層以外の断層付近で、浅い地震の発生がないというわけではありません。

ただし、長野県では伊那谷断層の方が、中央構造線沿いの活断層よりも、ずっと活動性は高く、現在の山脈と盆地という大地形は、おもに伊那谷断層がつくっています。
⇒赤石傾動地塊

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