大鹿産岩石の断面研磨標本

Last update 2005/04/08

南アルプス地域は、1年間に4mm以上の速さで隆起しています。
そのため侵食も激しく、
恐竜時代にできあがった日本列島の骨組みが、よく露出しています。


大鹿村内から200点あまりの岩石を集め、切断・研磨し、展示しています。

内帯(赤いカーペット側に展示)
領家(りょうけ)変成帯

外帯(青いカーペット側に展示)
三波川(さんばがわ)変成帯、秩父(ちちぶ)帯、四万十(しまんと)帯

西南日本の骨組みは、同じ時代に同じようにできた地質帯が
日本海側から太平洋側へ7列、関東から沖縄へ続いています。
⇒西南日本の骨組み

大鹿村では、領家変成帯から四万十帯まで、4列の地質帯を観察できます。
地質帯名の「領家」は静岡県水窪町奥領家、「三波川」は群馬県鬼石町の神流川支流の三波川、「秩父」は埼玉県秩父市、「四万十」は四国の四万十川の名をとって名づけられたものです。
⇒大鹿村の地質帯


プレート沈み込み帯に成長する「付加体」


廣野・芦(1998)原図を改変

古アジア大陸の東縁では、約3億年前の古生代後期から、
古太平洋のプレートが沈み込んでいます。
海洋プレートが大陸プレートに沈み込むとき、
海洋プレート上の堆積物や、海洋プレートの地殻そのものが剥ぎ取られ、
大陸プレートの前面に底付けされます。


遠くの海から移動してきた遠洋性の岩石や、
海溝を埋めた砂や泥が固まった海溝性の岩石が、
大陸に付け加わって大陸側の一部になったものを
付加体(ふかたい) といいます。

日本列島の土台をつくっている付加体

3億年の間、アジア大陸のへりに太平洋に向かって成長した付加体が、
日本列島の土台になりました。


西南日本では、日本海側から太平洋側に向かって、古生代後期〜古第三紀の付加体が、年輪のように並んでいます。

中軸部の、中生代ジュラ紀の付加体は、中央構造線により組み替えられています。

⇒付加体ってなに?

付加体の岩石

南アルプスの中腹〜稜線には、中生代の付加体がそのまま露出しています。
博物館前の小渋川の河原は、それらの付加体の岩石で埋まっています。
付加体の岩石には、遠洋性の岩石と、海溝性の岩石があります。


大河原小渋橋より上流の小渋川のれきは、すべて付加体の岩石。
ほとんどは四万十帯の砂岩で、かんらん岩、緑色岩、石灰岩、チャートが混ざっています。粘板岩は壊れやすく、大きなれきはみられません。

遠洋性の岩石:緑色岩、かんらん岩、石灰岩、チャート

緑色岩


緑色岩(枕状溶岩・青木川上流転石)


左:緑色岩類、右:変質はんれい岩(鳶ヶ巣)


変質輝緑岩(下青木、城の腰の巨大転石)の偏光顕微鏡写真
(右は、偏光板を薄片の上下に互いに90度に挿入し、鉱物種特有の干渉色を出したもの。cpx:斜方輝石、pl:斜長石、chl:緑泥石、ep:緑簾石)

緑色岩は、もとは、中央海嶺や火山島をつくった玄武岩質の溶岩や、地下でゆっくり固まって海洋地殻をつくった斑れい岩です。まだ熱いうちに、海水や地下水と反応し、水を含んだ緑泥石などの変質鉱物が生じて、緑色を帯びています。

深海の海底に噴出した玄武岩質の溶岩は、流れながら海水に触れた外縁部分が急冷されて薄皮のように固まり「枕状溶岩」になります。急冷により砕け散って、付近の海底に堆積したものもあります。地下の浅いところに入り込んで固まった半深成岩は輝緑岩(きりょくがん)といいます。

緑色岩は付加体にふつうに含まれます。三波川変成帯には、ほとんど塊状の緑色岩からなる「御荷鉾(みかぶ)緑色岩体」が関東から四国まで帯状に分布していますが、巨大な海底溶岩台地(海台)が付加したと考えられています。

⇒夕立神展望台の緑色岩

かんらん岩


かんらん岩(奥沢井)


風化した、かんらん岩(鳶ヶ巣)


かんらん岩(小渋川転石)の偏光顕微鏡写真
(右は、偏光板を岩石薄片の上下に互いに90度に挿入し、鉱物種特有の干渉色を出したもの。すべて、かんらん石の結晶)

かんらん岩は、鉄やマグネシウムを多量に含む、かんらん石や輝石でできた火成岩です。地球体積の大部分を占めるマントルは、かんらん岩でできていると考えられています。

大鹿村では御荷鉾(みかぶ)緑色岩体中に、かんらん岩が大規模に露出しています。このかんらん岩は、巨大海台を造った大規模なマグマ溜りの中で、重い鉱物結晶が沈殿してできたものです。マントルのかんらん岩とは異なり、黒っぽい色をしています。風化すると鉄さびのような赤茶色を帯びます。輝石を少し含むものは青味がかっています。


蛇紋岩(奥沢井)

水と反応して変質したものは、水を含む蛇紋石という鉱物が生じ、黄緑〜濃緑色で光沢がある蛇紋岩に変わっています。

石灰岩


石灰岩(湯折れ沢)


古生代のフズリナを含む秩父帯の石灰岩(青木川上流)

火山島のサンゴ礁や、石灰質の殻をつくるプランクトンの死骸が堆積したもの。白〜灰色の軟らかい岩石。

秩父帯の石灰岩の多くは古生代の化石を含むため、秩父帯はかつては「秩父古生層」と呼ばれました。しかし混在するチャートや泥岩からも微化石を取り出す技術が開発され、チャートは中生代三畳紀、泥岩はジュラ紀の微化石を含むことが分かりました。海溝に泥岩が堆積するのは付加の直前であり、秩父帯はジュラ紀の付加体であることが明らかになりました。

遠洋性の岩石は海溝にたどりつくまで長い時間がかかるので、同じ付加体のなかでは、遠方から運ばれたものほど古い年代のものになります。

チャート


チャート(小渋川上流)


赤色チャート(小渋川上流)


放散虫化石が見える赤色チャート(小渋川転石)の研磨片実体顕微鏡写真

石英で殻を作る放散虫(ラジオラリア)の死骸が深い海底に堆積したもの。放散虫は浮遊性の単細胞動物プランクトンです。

プランクトンには石灰質の殻を作るものもいますが、微小な石灰片は深さ2000メートルていどの水圧で溶けてしまうため、それより深い海底には放散虫の死骸だけが降り積もります。また、堆積速度はきわめて遅く、大陸から泥が流れ込む環境では泥にまぎれてしまうため、遠洋の深海底でなければできない岩石です。

チャートの成分はほとんど石英で、鉄より堅く、かなり下流まで流されても、削られて丸くならず、ゴツゴツした形をしています。無色透明の石英でできているため不純物がなければ透明感がある白い岩石です。

不純物が混ざると色がつきやすく、酸化鉄が混じったものは赤色になり、とくに「赤色(せきしょく)チャート」と呼ばれています。赤色チャートは通称「赤石」と呼ばれ、赤石山脈の名前のもとになりました。

海溝性の岩石:砂岩、泥岩

砂岩


泥質岩片をパッチ状に含む四万十帯の砂岩(小渋川上流)


四万十帯の砂岩(小渋川転石)の偏光顕微鏡写真

大陸から流れ込み、深い海溝を埋めた砂と泥が混じり合って堆積したもの。浅い沖合いにたまった砂と泥が、大地震や大嵐で発生する海底土石流により、混じり合って深い海底に一気に再堆積しました。

次の海底土石流までは、泥だけがおだやかに堆積するため、砂岩と泥岩がくりかえし堆積した互層ができます。

泥岩(粘板岩)


四万十帯の粘板岩(七釜)

粘板岩は、泥岩が弱く変成したものです。

この粘板岩には、後の時代の変動で生じたキンク褶曲(比較的浅部の地圧が小さい場所で生じる、折り曲げたような小褶曲)が、たくさん見られます。

メランジュ


秩父帯の泥質メランジュ(塩川上流)

さまざまな種類の岩石が複雑に混じり合った地質体を「メランジュ」といいます。メランジュとは「混ぜ合わす」という意味のフランス語です。

この岩石では、破断した泥岩(黒)に砂岩(淡緑色)がもみ込まれていますが、遠洋性のチャート(白)の破片も見られます。海溝性の砂岩と泥岩の互層が、沈み込みにともなう断層で剪断されるとともに、チャートの破片が混じりこんだと考えられます。


戸台層

赤石山脈中腹に、付加体ではなく、アジア大陸東部に堆積した地層があります。白亜紀前期の1億2000万年前に、浅い海に堆積した「戸台層」という地層です。

ジュラ紀の付加体である秩父帯と三波川変成帯の境に、はさまれるように残っています。

長谷村の戸台層からはアンモナイト化石がみつかっていますが、大鹿からはまだ見つかっていません。

れき岩


れき岩(鹿塩川支流黒川)

花崗岩のれきを含んでいます。この花崗岩は、領家花崗岩ではなく、古生代のものである可能性があります。

アンモナイト化石


アンモナイト化石(長谷村戸台)

長谷村の「戸台の化石保存会」では、戸台層の化石観察会を行っています。
化石の散逸を防ぐために、村内の保存庫で保管しています。
大鹿村中央構造線博物館展示標本は、長谷村からお借りしています。


三波川変成帯の結晶片岩

赤石山脈山麓の三波川変成帯の岩石は、もとは秩父帯と同じジュラ紀〜白亜紀初期の付加体です。白亜紀に、圧力が高い(深い)けれども地温が低い場所で低温高圧型の変成作用を受け、薄い板を重ねたような結晶片岩になっています。
⇒変成岩ってなに?

緑色片岩


緑色片岩(鹿塩川支流黒川)

変成前のもとの岩石を「原岩(げんがん)」といいます。緑色岩(変質した玄武岩やその破片)を原岩とする結晶片岩です。玄武岩の成分から「苦鉄質片岩」「塩基性片岩」とも呼ばれます。

石灰片岩


石灰片岩(鹿塩川転石)

石灰岩を原岩とする結晶片岩。緑色片岩との互層になっています。

石英片岩


石英片岩(鹿塩川転石)

チャートを原岩とする結晶片岩。

赤鉄石英片岩


赤鉄石英片岩(鹿塩川支流黒川)

赤色チャートを原岩とする結晶片岩。マンガンを含むピンク色の石英片岩は「紅簾(こうれん)片岩」といいます。

砂質片岩


砂質片岩(塩川転石)

砂岩を原岩とする結晶片岩。

黒色片岩


黒色片岩(分杭峠)

泥岩を原岩とする結晶片岩。「泥質片岩」ともいいます。変成鉱物として微細な白雲母が生じているものは光沢があり「絹雲母片岩」ともいいます。

点紋緑色片岩


点紋緑色片岩(分杭峠)

変成度が高い結晶片岩には、肉眼で見えるほど成長した曹長石(ナトリウム長石)が見られます。このような結晶片岩を「点紋片岩」といいます。


領家変成帯の片麻岩と花崗岩類

伊那山地や木曽山脈(中央アルプス)は、高温型の変成岩と、花崗岩などの地下でゆっくり固まった深成岩でできています。

変成岩のもとの岩は、丹波−美濃−足尾帯から続く、ジュラ紀の付加体です。赤石山脈(南アルプス)中腹の秩父帯と、でき方も、できた時代も、同じ岩石です。

白亜紀に活発なマグマ活動があり、ジュラ紀以前の付加体に、大量のマグマが深部のプレート境界付近から上昇しました。

プレート沈み込み帯で発生するマグマ


図:沈み込み帯のマグマ発生モデルのひとつ

岩石が融けて液体になったものを「マグマ」といいます。マグマは限られた場所でしか発生しません。中央海嶺のようにプレートが開いていく場所、熱いマントルが上昇している場所、プレートが沈み込んでいる場所でマグマが発生します。

プレート沈み込み帯では、沈み込んだ海洋プレートに沿って、海溝から少し入った場所で新しい付加体がつくられるとともに、内陸の下ではマグマが発生します。大陸側のマントルは深さ100km付近ではかなり高温で、そこに海洋プレートが持ち込む水が加わって、岩石が融けやすくなるためだと考えられています。

⇒プレート沈み込み帯のマグマはどうしてできる?

そのため地下のそれほど深くない場所でも地温が高くなり、そこにあった付加体の岩石は高温低圧型の変成岩になりました。
⇒変成岩ってなに?

入り込んだマグマは、ゆっくりと冷え固まって花崗岩などの深成岩になりました。

その後の隆起と侵食で、変成岩や花崗岩などが地表にあらわれました。

この変成岩が地表にあらわれている地域を「領家変成帯」といいます。
領家変成帯に分布している花崗岩を「領家花崗岩」といいます。
⇒領家・山陽・山陰花崗岩

領家変成岩

泥質片麻岩


泥質片麻岩(高遠町三峰川河床)

泥岩が変成した片麻岩。赤銅色〜金色にキラキラ光って見えるのは変成作用で生じた黒雲母。薄片の顕微鏡観察では、菫青石(きんせいせき)が生じていることが分かります。一部は融けて白色のメルト(溶融物)の脈をつくっています。脈は細かく褶曲しています。

大鹿産のよい標本が得られていないので、高遠で採取したものを載せます。この標本は「鹿塩マイロナイトと断層岩類」のコーナーに置いています。

珪質変成岩


珪質変成岩(安康南沢)

チャートが変成した変成岩。ほとんど石英でできていて、もともと層状のチャートは、変成作用を受けてもあまり見かけが変わりません。

ミグマタイト


ミグマタイト(松除)

小渋ダム湖上部で採集した標本。
マグマの貫入を受けた片麻岩。片麻岩は変形し、一部は融けています。マグマは冷え固まって、結晶粒が細かい花崗岩になっています。変成岩と火成岩が混在している岩石を「ミグマタイト」といいます。

領家花崗岩類

花崗岩は、石英分が多いマグマが、地下でゆっくり冷え固まってできる岩石です。ゆっくり冷え固まったため、大きめの結晶だけからできた岩石になっています(急に冷えると結晶が成長できず、微細な結晶や、結晶をつくれずに固まったガラス質の岩石ができます)。石英分が多く、マグネシウムや鉄が少ないマグマから固まったため、鉱物結晶としては無色透明の石英や白い長石が多く、白っぽい岩石になっています。有色鉱物の多くは黒雲母ですが、白雲母や角閃石を含むものもあります。マグネシウムや鉄が多いマグマから固まった岩石に含まれる、かんらん石や輝石は、花崗岩には含まれません。
火成岩の分類表

縞状花崗閃緑岩(非持タイプ)


縞状花崗閃緑岩(長谷村美和ダム西方)

「花崗閃緑岩」は花崗岩質岩の細かい分類のひとつです。この岩石は、全体としては花崗閃緑岩に分類されますが、有色鉱物が多い部分と少ない部分が、縞状をなしています。

領家花崗岩は、多くの岩体群に区分され、マグマの貫入・固結の順序がかなり分かっています。岩体にはそれぞれ名前がつけられています。これは最古期の非持(ひじ)タイプのものです。非持タイプには塊状のものと縞状のものがあります。なぜ縞状のものができたのかについては、分かっていません。

大鹿では非持タイプの花崗岩は、断層深部の変形を強く受けています。これは長谷村で採取した標本です。

眼球状花崗閃緑岩(南向・天竜峡タイプ?)


眼球状花崗閃緑岩(落合)

大鹿村役場下流で採集した標本。
カリ長石の大型結晶が特徴的な花崗閃緑岩です。南向(みなかた)・天竜峡タイプとは別な岩体だという見方もあります。南向・天竜峡タイプは、非持タイプにつづいて貫入した領家古期花崗岩です。大型結晶の成因は分かっていません。

眼球状花崗岩(南向・天竜峡タイプ?)


眼球状花崗岩(落合)

前のものと同じ岩体の、有色鉱物が少ない部分だと思われます。

花崗閃緑岩(生田タイプ)


花崗閃緑岩(岩道)

大鹿から松川町生田へ上がる旧道沿いで採取した標本。
生田(いくた)タイプのうち、有色鉱物が多いタイプです。生田タイプは、昔の区分方法では「古期」に入れられていましたが、新しい区分方法では「新期」に入れられています。

領家花崗岩類の新旧は、かつては同時代の噴出岩である「濃飛流紋岩(のうひりゅうもんがん)」をものさしにして、その噴出時期の前か後かで分けていました。しかし濃飛流紋岩類の噴出は長い間にまたがっていたことが分かり、時代を決めるものさしとして役立たないことが分かりました。そこで、領家変成岩をものさしにして、領家変成岩が深部で変成作用を受けていた時期に貫入した花崗岩類を「古期」、領家変成岩が広域変成作用を受けない浅部へ上昇してから貫入し、接触変成作用を与えている花崗岩類を「新期」に区分しています。
⇒領家変成帯と領家花崗岩

苦鉄質岩類

領家変成帯には、花崗岩のほかに、鉄やマグネシウムが多いマグマ(苦鉄質マグマ) から固まった深成岩も少し見られます。大鹿村では安康南沢に苦鉄質岩体があります。小規模なものは桶谷にも露出しています。

コートランド岩


コートランド岩(安康南沢)

角閃石かんらん岩の一種。超苦鉄質岩。角閃石の大きな結晶が、かんらん石や輝石を包み込んでいます。この標本の研磨面に光を当てると、直径数センチメートルの角閃石結晶が光ります。苦鉄質マグマから初期に晶出した鉱物が沈積してできたものです。

斜長岩(角閃石斑れい岩)


斜長岩(安康南沢)

先に晶出した白い斜長石結晶のすきまを、後から晶出した黒い角閃石が埋めています。岩石の命名規約では、ほとんど斜長石でできていて、無色(白色)鉱物が体積で90%以上ふくまれるものを「斜長岩」といいます。この岩石はどうでしょうか。90%以下なら「角閃石斑れい岩」です。斑れい岩には斜長石がふつうに含まれているので、あえて「角閃石斜長岩斑れい岩」とはいう必要はありません。

角閃石はんれい岩


角閃石はんれい岩(安康南沢)

長柱状の角閃石結晶が先に晶出し、無色鉱物が間を埋めて晶出しています。

「変輝緑岩」


「変輝緑岩」(桶谷)

領家花崗岩にともなって、細粒の苦鉄質岩が見られます。これらは「輝緑岩(苦鉄質半深成岩)を原岩とする変成岩」を意味する「変輝緑岩」と呼びならされてきましたが、ほんとうの素性は不明です。

マイロナイト

領家変成帯の、中央構造線から1000メートル付近までの岩石は、白亜紀末に、地温が高い断層深部で引き延ばされるように変形したマイロナイトになっています。

角閃石を含む花崗岩質岩がマイロナイトになったものを、1890年に原田豊吉が「鹿塩(かしお)片麻岩」と命名しました。当時は、マイロナイトのでき方は分かっていませんでした。その後、長い間、マイロナイトは機械的にすりつぶされたものだと考えられ「圧砕岩」と呼ばれていました。いまは、「鹿塩マイロナイト」は、地温が350℃ていどの深さで、焼きなましを受けながら、壊れることなくゆっくりと変形した岩石だということが分かっています。

鹿塩マイロナイトをつくった断層運動は、長い間、中央構造線の最初期の活動だと考えられ「鹿塩時階」とよばれてきました。しかし大鹿地域では、鹿塩マイロナイトは現在の地質境界としての中央構造線に切られています。また静岡県水窪付近では、マイロナイト化がいちばん強いところは中央構造線から離れています。このようなことから、鹿塩マイロナイトをつくった断層運動は、地質境界としての中央構造線ができる前に、領家変成帯の中に生じた断層運動だと考えられます。
⇒鹿塩マイロナイトと断層岩類

花崗閃緑岩を原岩とするマイロナイト


花崗閃緑岩を原岩とするマイロナイト(北川)

泥質片麻岩を原岩とするマイロナイト


泥質片麻岩を原岩とするマイロナイト(高森山林道)
研磨片実体顕微鏡写真

マイロナイトは、もとの岩石により見かけが大きくちがいます。
もとの岩石が花崗岩の場合は、花崗岩の長石や角閃石の結晶が大きいまま斑点のように残ったマイロナイトができます。この、もとの岩石から残ったおおきめの結晶粒を「ポーフィロクラスト」といいます。
大粒の結晶をもたない変成岩がもとの岩石の場合は、ほとんどポーフィロクラストをもたないマイロナイトになります。

断層岩類特別展示

大鹿の地名がつけられた「鹿塩マイロナイト」は、日本で最初に名づけられた断層岩です。大鹿は日本の断層岩研究の発祥地といえます。
大鹿の断層岩類を中心に、大鹿には見られない断層岩類の標本も加え、断層岩類の切断研磨標本の展示コーナーを作っています
⇒インターネット展示室“断層岩類”

中央構造線の両側の石は、別々なところにあった

中央構造線を境に、領家変成帯の岩石と、三波川変成帯の岩石が接しています。両側の岩石は、もともとは同じジュラ紀の付加体です。白亜紀になり、それぞれ、異なるタイプの変成岩になりました。

三波川変成帯の岩石 は、冷たい海洋プレートが沈み込む付近の地下15〜30kmで変成作用を受けた 低温高圧型の変成岩 です。

領家変成帯の岩石 は、海洋プレートが地下100km以上沈み込んだ付近で生じるマグマが上昇し、地温が高くなった場所で変成作用を受けた 高温低圧型の変成岩 です。

沈み込み帯では、海溝から少し入った深部に低温高圧型の変成岩、内陸の火山帯の下に高温低圧型の変成岩が、数10km〜100kmていどの中間地帯をはさんで平行してつくられると考えられます。これが地表に露出したものを 対の変成帯 といいます。
⇒対の変成帯

三波川変成帯と領家変成帯は、白亜紀に形成された、対の変成帯です。

このように、両変成帯の岩石は、水平距離(プレート沈みこみ帯に垂直な方向)で60km以上、深さの差で5〜20kmkm、離れたところにありました。
横ずれ方向にも、大きく離れていたと考えられています。

大規模な断層の活動が、たがいに離れていた領家変成帯と三波川変成帯をずれ動かし、両変成帯は接するようになりました。


領家変成帯と三波川変成帯は、いまは1000km以上の長さで接しています。
領家変成帯と三波川変成帯の境界となっている断層が、 「地質境界としての中央構造線」 です。


⇒地形地質模型に進む