地形地質模型


大鹿村地域の、1万分の1のきわめて精密な立体地形地質模型です。10メートルの等高線で切り抜いた1mm厚のコルク板を積み重ねた、水平:垂直=1:1の地形模型を、地質のちがいで塗り分けました。


ボタンひとつで地質断面も見られます。


地形地質模型の範囲
(25万分の1地形模型の上に示しました。この模型もあります。)

いま私たちが見ている山脈や平野・盆地などの大地形は、およそ200万年前よりも新しい新生代第四紀になってから、隆起や沈降して、つくられています。

その変動はいまもつづいています。南信地域は過去100年間の日本列島で、もっとも早く隆起しています。主要道路沿いに置かれた水準点の、くりかえし 測量により、100年間に40cmの上昇が推定されています。
⇒最近100年間の上下変動(国土地理院作成)

傾きながら隆起している赤石山脈


画像をクリックすると隆起します

25万分の1地形模型や、1万分の1地形地質模型を見ると、赤石山脈(南アルプス)の尾根も、伊那山地の尾根も、天竜川に向かってなだらかに下っていることが分かるでしょう。谷の侵食は、山が隆起することで始まりますから、谷を埋めてみると、隆起前の平原(準平原)だった面を復元できます。そうすると、赤石山脈から中央構造線沿いの谷をまたいで伊那山地へつづき、天竜川で終わる、一枚のベニヤ板を置いたような面がイメージできます。

これが250万年前に隆起が始まる前の、準平原の面です。現在は、東が高く西の伊那谷に向かってだんだん低くなっています。これは、まっすぐに上昇するのではなく、東ほど速く、傾きながら隆起しているためです。このような隆起のしかたを「傾動隆起」といいます。伊那山地−赤石山脈の隆起ブロックを「赤石傾動地塊」または「赤石傾動ブロック」といっています。

天竜川の西側では、木曽山脈(中央アルプス)が、両側に断層をつくりながらまっすぐに隆起しています。天竜川と木曽山脈の間には、何列もの断層が生じています。これを「伊那谷断層」といいます。

伊那谷断層をはさんで、西側の木曽山脈側の急崖(断層崖)と、東側の伊那山地−赤石山脈の傾動隆起する準平原の面が、逆三角形の凹地をつくっています。これが伊那盆地(伊那谷)です。この地殻変動がつくっているいちばん低い場所を天竜川が流れています。(くわしく見れば、急激に隆起する木曽山脈が崩壊して扇状地をつくるので、天竜川は伊那山地側に押し付けられています)

中央構造線の部分では、両側の地形面の段差は小さく、いまの中央アルプス/伊那谷/伊那山地−赤石山脈という大地形をつくっている現在の地殻変動には、中央構造線沿いのいまの断層は、伊那谷断層ほど活躍していません。中央構造線沿いの深い谷は、おもに、伊那山地−赤石山脈ブロックの傾動隆起にともない、中央構造線の昔の活動でできた破砕帯が侵食されてつくられていると考えられます。(現在の断層活動がまったくないというわけではありません)

⇒伊那谷断層の断層崖

中央構造線沿いの一直線の谷

中央構造線の断層破砕帯に沿って、一直線の谷が掘り込まれています。隆起が大きい伊那山地−赤石山脈では、谷の掘り込みも深く、伊那山地の大西山と谷底の博物館の標高差は1000メートルもあります。


中央構造線沿いを侵食している青木川の谷。一直線の谷が画面左上部の地蔵峠を越えて九州へつづく。

戸台構造線と仏像構造線


戸台構造線。三波川変成帯のみかぶ緑色岩体(左)と秩父帯(右)の境界断層。


仏像構造線。秩父帯(左)と四万十帯(右)の境界断層。

赤石山脈の信州側には、戸台構造線と仏像構造線もとおっています。戸台構造線と仏像構造線も、関東から九州・沖縄へつづく大断層です。戸台は長谷村の地名、仏像は高知県土佐市の地名です。仏像構造線は、沖縄の本部(もとぶ)半島の付け根までたどれます。

戸台構造線と仏像構造線沿いにも、中央構造線ほどではありませんが、断層破砕帯にそって谷や沢ができています。

小渋断層


中央構造線から分岐した小渋断層沿いに、大河原から赤石岳(奥)へ一直線につづく谷。赤石岳山頂をとおり模型の左手前に続く溝は、模型の右側を下げて地質断面を見せるための切り口で、断層ではありません。


大西公園から赤石岳を望む

大河原の小渋川と青木川の合流点から、赤石岳に向かい、一直線に谷がつづいています。そのため小渋橋や大西公園から、正面に赤石岳が見えます。この谷は、中央構造線から分岐した小渋断層を、小渋川本流が侵食したものです。小渋断層は、外帯の四万十帯、秩父帯、三波川変成帯を切っています。

中央構造線の両側で地形がちがう


伊那山地側(左)は急斜面、赤石山脈側(右)は緩斜面

中央構造線の西側(伊那山地側)は急な崖になっていて、山すそのほかには集落はありません。東側(赤石山脈側)は緩い斜面になっていて、高いところに古くからの集落があります。これは地質のちがいです。

伊那山地側の花崗岩は堅く、切り立った崖になっています。赤石山脈側の結晶片岩や蛇紋岩は粘土化して地すべりを起こしやすく、緩い斜面になっています。

花崗岩地帯は入り組んだ尾根上に集落や道路が発達


松川町生田の峠地区

伊那山地西斜面には、花崗岩地帯特有の地形が見られます。花崗岩は結晶粒が大きく、表面近くでは結晶の境目から風化してバラけていきます。長石と雲母は粘土化し、風化に強い石英の砂粒がまぶされたようになります。これを「マサ化」といいます。花崗岩の中でも、結晶粒が大きく粒径がそろったタイプがマサ化しやすいようです。生田花崗岩はマサ化しやすいタイプです。「マサ土」のサンプルは、2階の展示室にあります。

芯が堅い花崗岩は保水力が小さく、大雨に会うとマサ化した表層が崩れおちます。その結果、網の目のように小さな谷が発達します。生田地区では、残った小さな尾根の頂上に家が点在し、細い尾根の稜線をたどる道が集落を結んでいます。馬が通った大鹿への古道も尾根上の道です。県道(小渋ダム沿いの道ができる前の旧道)は、谷底に建設されています。

中央構造線に面した伊那山地東側の急斜面とマイロナイトの大崩壊


領家変成帯の中央構造線に近い部分は、マイロナイトになっています。


大西山麓の大崩壊。手前(見かけ上は下)の灰色部分がマイロナイト。奥(見かけ上は上)の赤っぽく風化した部分は花崗岩。

中央構造線沿いは、破砕帯が深く掘り下げられています。伊那山地東斜面の中央構造線から1000mていどの間に露出している部分は、花崗岩や変成岩が白亜紀に地温が高い地下深部で引き延ばされたマイロナイトです。マイロナイト化した部分は、その西側(斜面を東から見ると、見かけ上は上側)の花崗岩よりも急傾斜になっています。


崩壊地岩盤の断面図

斜面が安定する(持ちこたえられる)角度は地質により異なります。マイロナイトの石英は細粒緻密になっているため、マサ化しません。そのためマサ化する花崗岩よりマイロナイトのほうが、急角度で斜面が安定できると思われます。

大西山麓のマイロナイトは昭和36年(1961年)の梅雨末期の大雨で、大きく崩れました。崩落したマイロナイトの岩塊が、当時川だった場所に台地をつくりました。今、川が流れている場所は、当時は水田だったところです。崩壊にともなう衝撃波と土砂の一部が川の東側の集落にまで押し寄せ、42名の方が亡くなりました。当時のニュース映像が、2階展示室にあります。台地は、いまは桜が植えられ「大西公園」になっています。

マイロナイトの岩体には、ひび割れが入っています。これは、地温が低い地下の浅い場所まで上昇したあとで、再び断層運動の影響を受けたためだと思われます。これらのひび割れは岩体の深部まで入っていて、地下水の通路になり、ひび割れに沿って岩石が変質しています。そのために崩れるときには、大規模な崩落になると思われます。伊那山地の山麓には、過去に大規模な崩落が起こり、山すそに崩落岩塊がつくった斜面や、沢から押し出した扇状地がみられます。それらの地形を利用して、集落ができているところもあります。

大西山麓がとくに大規模に崩れた原因としては、このような亀裂が入ったマイロナイトの特徴のほかに、小渋断層沿いに赤石岳からまっすぐに流れてきた小渋川が、伊那山地にぶつかって、伊那山地の山すそを侵食していたことも、特別な理由として考えられます。

三波川帯の地すべりと集落


地すべり跡地に立地する中峰・梨原・沢井集落(左)と上蔵集落

赤石山脈側の三波川変成帯の結晶片岩や蛇紋岩は粘土化しやすく、地すべり地帯になっています。そのため、山の中腹の高い場所にゆるい斜面ができています。

地すべり跡地は、背後の滑落崖から水が湧き、粘土質なため土地が肥え、南向きの斜面ならば平坦地より冬の太陽を受けやすく、川沿いの土石流やはんらんに会うことがないため、古代から集落が発達しました。


鹿塩の中心集落、梨原


大河原の中心集落、上蔵


鳥倉山斜面の滑落崖(上蔵)

中央構造線断層面の傾き


断層面の走向と傾斜

断層面の向きは、走向(そうこう)と傾斜(けいしゃ)であらわします。断層面と水平面が交わる線の方向を、「走向」といいます。地質学では真北から東まわりに何度、または西回りに何度、というようにあらわします。断層面の角度は「傾斜」といいます。走向に垂直な面で断層面を切ったときに、水平面を傾斜0°とし、垂直を90°とし、面が下がっている方位をつけて、あらわします。上の図だと、おおよそ、走向は北から30°西、傾斜は西へ70°ぐらいです。「N30°W,70°W」のように記します。


地質模型断面(左)、露頭面(右)

断層面の断面が見えています。断層面の傾斜の向きがおおまかに見えています。外帯の赤石山脈側に傾き下がっています。走向に垂直な断面で見ていないので、正確な傾斜ではありません。

赤石山脈では、中央構造線は外帯側に70〜80度で傾斜し、大鹿の鹿塩川や青木川をはじめ、中央構造線ぞいに流れる川は、内帯側を流れています。赤石傾動隆起の始まりのときに、中央構造線破砕帯の部分を侵食し始めた川が、隆起にともない真下に掘り下げ続けたために、川筋が内帯を流れるようになったと考えています。

紀伊半島や四国では、中央構造線は内帯側に傾斜し、中央構造線ぞいに流れる櫛田川・紀ノ川・吉野川は、外帯側を流れています。

断層鞍部

赤石山脈では川が内帯側をとおっているので、中央構造線は赤石山脈側の斜面をとおっています。赤石山脈から下ってくる枝尾根を中央構造線が横切るところでは、とくに弱い断層ガウジ(断層粘土と断層角礫)が侵食され、断層鞍部(だんそうあんぶ)という断層特有の地形が生じています。


大鹿村居森山の断層鞍部と断層丘陵
左:南側から、右:北西側の国道152号下原から

→大鹿中学校から見る断層地形
→河合断層鞍部解説板
→城の腰断層鞍部地形と露頭

断層変位地形(活断層)

活断層とは、最近数10万年以内にできた地形面や地表付近の堆積層を食いちがわせている断層です。そのころから今と同じ力が日本列島に加わっていて、この先数10万年は大きく変わらないので、同じ向きの食いちがいが、これからもくりかえし生じると考えられます。

断層鞍部は侵食による地形です。最近の時代の動きがなくても断層鞍部はできます。その断層が、活断層かどうかはわかりません。活断層の判定には、最近の地形をずらしているかどうかに注目します。

中央構造線の大河原〜水窪区間には、多くの断層鞍部地形に右横ずれが見られ、確実度1の活断層と考えられています。


大鹿村深ヶ沢の断層変位地形

断層丘陵が←の方向へ動き、川の出口をせき止めたため、川が新しい流路をショートカットし、昔の流路が干上がったと考えられます。

⇒活断層

地質境界面の傾斜と地形

断層面や地層面などの地質境界面が、起伏がある地表面にあらわれた線は、境界面の傾きにより、異なったみかけになります。逆に、地質図に描かれた地質境界線と等高線から、地層面や断層面の傾きを読み取れます。その関係は、立体地形地質模型で見ると、よく分かります。


地質境界面が水平なとき、地質図上の境界線は等高線と平行になる


地質境界面が垂直なとき、地質図上の境界線は起伏と関係なく直線になる


“館内と岩石園”目次にもどる