大鹿村まるごと博物館


大鹿村の南北25kmX東西15kmがまるごと博物館!
南北には中央構造線の断層露頭と断層地形
東西には日本列島の骨格をつくる四万十帯〜領家帯の岩石
中央構造線の両側で対称的な地質・地形と集落
東側の地すべりと西側の崩壊

野外解説パネル

北川露頭
河合の断層鞍部
高森山林道鹿塩マイロナイト帯観察ルート
夕立神展望台緑色岩解説板

中央構造線に沿って南北25km縦断!

⇒分杭峠から地蔵峠まで

観察コース

@大西公園・小渋峡コース
A北川露頭・鹿塩川コース
B-----塩川コース------
C断層鞍部・秋葉道コース
D-鳥倉林道・上蔵コース-
E安康露頭・青木川コース


@大西公園・小渋峡コース

博物館〜城の腰露頭〜大西公園
大西公園〜小渋峡〜西〜鹿塩市場

下青木、城の腰の断層鞍部と断層丘陵(ケルン・バット)


博物館から南に断層鞍部が見えます。ここでは青木川は中央構造線の西側を流れ、中央構造線は、川の東側の尾根を横切っています。断層中心部は粘土化していて弱く、尾根のその部分は侵食され、凹字形の断層鞍部になっています。尾根の先端は侵食から取り残され、凸字形の断層丘陵(ケルン・バット)になっています。断層に特徴的な侵食地形です。

城の腰の中央構造線小露頭



博物館から歩いて行ける露頭。小規模だが、断層鞍部地形と断層との関係がセットで分かる。
⇒詳細と道順

和合の土石流扇状地


中央構造線の東側の伊那山脈側は急斜面で、あまり集落はありません。博物館から南西方向に見える半円形の台地は、かつて伊那山脈の山腹が崩壊し、沢を土石流となって流れ下り、沢の出口から広がった扇状地と考えられます。

青木川は東へ押され、扇状地末端を回り込むように流路が変わっています。その扇状地の上に和合(わごう)集落があります。扇状地の上は、青木川や小渋川の本流の氾濫にたいしては安全です。

大西公園下のマイロナイト露頭


博物館から大西公園へ向う道に、マイロナイトの露頭があります。

マイロナイトは断層深部でつくられる断層岩です。断層の最深部では温度が350℃ほどになり、岩石をつくっている鉱物のうち石英などは、変形しやすくなっています。そこでずれの力を受けると、石英は引き伸ばされ、細かくなりながら再結晶します。長石は、この温度では固いため、粒のまま残ります。およそ7000万年前にできたマイロナイトです。

この露頭のマイロナイトは、隆起上昇中に浅い部分で再びずれの力を受け、破砕岩(カタクレーサイト)化しています。

⇒鹿塩マイロナイトと断層岩類

大西山腹大崩壊


昭和36年伊那谷集中豪雨によりマイロナイト帯が大規模に崩壊しました。灰色部分がマイロナイトです。マイロナイトは固いため急斜面をつくりますが、隆起上昇の過程で、浅く冷たい条件で細かいひびわれがたくさん入って、もろくなっています。そのため大規模に崩壊しやすい性質があります。

⇒地形模型
(開かないときは「右クリック→新しいウィンドウで開く」)

大西公園


災害前に小渋川が流れていた場所に崩落岩塊が積み重なって台地になりました。いまは3000本の桜が植えられ、公園になっています。このときに、土砂の一部が川を越えて対岸の集落へ押し寄せ、42名の方が亡くなりました。大鹿全体では55名、伊那谷全域では100名以上の方が亡くなる大きな土砂災害でした。供養の観音様が建立されています。


公園内の一部に、崩落岩塊が当時のままに保存されています。

小渋断層


中央構造線から南東方向に、小渋断層が分岐しています。大西公園からは、断層ぞいにできたまっすぐな谷の正面に、赤石岳(3120m)が見えています。
⇒地形模型
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小渋峡


中央構造線の西側、伊那山地や中央アルプスは、白い花崗岩類でできています。村役場から小渋川を少し下った小渋峡の河床の色も白く見えます。

小渋川は伊那山地を横断しています。伊那山地の隆起より前から流れていて、かつての流路がそのまま残った「先行河川」と考えられています。

下原から見る中央構造線断層地形


国道152号線の下原バス停からは、断層鞍部と断層丘陵(ケルンバット)が見えます。居森山は大鹿でいちばん大きな断層丘陵です。
⇒地形模型
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西集落から見る中央構造線断層地形


下原バス停から、伊那山地側の西集落へ登ると、川向こうに、みごとな断層鞍部と断層丘陵の連なりを遠望できます。

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A北川露頭・鹿塩川コース

博物館〜分杭峠
高森山林道

大鹿中学校前から見る断層地形


大鹿村鹿塩の大鹿中学校から南を見ると、中央構造線の断層丘陵(ケルン・バット)の連なりがよく見えます。中央構造線は中学校の裏手の山腹をとおっています。
⇒最新画像

断層鞍部をとおる国道152号

鹿塩川ぞいでは、数カ所で国道が中央構造線の断層鞍部を通過しています。断層鞍部を結ぶルートは、古来から秋葉街道として利用されていました。断層丘陵(ケルンバット)には必ず神様が祀られているのも興味深いことです。


大塩
⇒最新画像


儀内路
⇒最新画像

中央構造線北川露頭

現地に解説パネルがあります

鹿塩川が中央構造線を横断し、基盤岩まで掘り下げた露頭です。

国道ぞいの駐車場から歩いて2分の川岸に出ています。北川露頭では、基盤岩の上をおおっていた旧河床れき層を取り除き、> 上からも断層が見えるようにしました。断層ぞいに鹿塩川が侵食している様子がよく分かります。


中央構造線の日本海側を 内帯(ないたい)
太平洋側を 外帯(がいたい) といいます。

中央構造線を境に、 内帯の 領家変成帯(りょうけへんせいたい) の岩石と
外帯の 三波川変成帯(さんばがわへんせいたいたい) の岩石が 接しています。


川岸に下りて、川に面した崖を見てみましょう。
左が伊那山地側の領家変成帯、右が赤石山脈(南アルプス)側の三波川変成帯です。

大画像と解説

野外の露頭は、クリーニングしても、すぐに風化します。
細部は、館内の剥ぎ取り標本でごらんください。
北川露頭はぎとり標本

高森山林道鹿塩マイロナイト帯観察ルート

入口から3kmまでの区間に岩石名を書いたプレートを取りつけてあります。

分杭峠から伊那山地へ入る林道です。
領家帯最古期の花崗岩類(非持トーナル岩)や片麻岩類から、中央構造線に近づくにつれマイロナイトに変わり、最も中央構造線に近いところではカタクレーサイト化している様子が見られます。

やや専門的なルートです。博物館でルートマップとマイロナイトの解説パンフを販売していますので、予習してから行かれることをおすすめします。

12〜4月は、雪のためプレートをはずします。

2003年冬〜2004年春に再調査を行いました。ほぼすべての露頭から試料を採取し、偏光顕微鏡観察を行いました。その結果、岩石名が大きく修正されましたので、ネームプレートをすべて作り変えました。
⇒高森山林道マップ(2004/05/27修正)

分杭(ぶんくい)峠


中央構造線の断層線谷の中の、谷中分水界(こくちゅうぶんすいかい)です。小渋川と三峰(みぶ)川の水系を分けています。

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B塩川コース

鹿塩市場〜入沢井

鹿塩市場


中央構造線は鹿塩(かしお)交差点の約100メートル東をとおっています。その南側には城山(じょうやま)の断層鞍部が見えます。

『塩の里』・鹿塩温泉


鹿塩(かしお)の名のとうり、山中に塩泉が湧いています。由来がわからない謎の塩泉です。
『塩の里』に、塩泉にかかわる地質と歴史の展示があります。


『塩の里』農産加工品直売所。背後に城山の断層丘陵。


直売所の下に、塩泉の展示室があります。



上:地質的背景、右:塩泉がつくった大鹿の歴史。塩泉が南朝を支えました。赤石山脈の地質は豆作に適しています。

⇒謎の鹿塩塩泉


明治時代に、旧徳島藩士黒部銑次郎が、岩塩の存在を信じて掘り進んだ坑道が残っています。
岩塩は発見できませんでしたが、塩泉を利用して湯治場が開かれました。これが現在の鹿塩温泉の始まりです。



鹿塩温泉。赤い橋の北岸(写真の左方)に坑道跡がある。


黒部銑次郎が岩塩を探すために掘った坑道
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坑道の内部。天井からは水がしたたり、ツララ状に鉱物が析出している。
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大鹿で生涯を終えた黒部銑次郎の墓所

塩川の緑色の河原


鹿塩温泉前の塩川の河床には、三波川変成帯の結晶片岩が露出しています。転石のほとんどは、みかぶ緑色岩で、かんらん岩が混ざっています。そのため河原は青緑色です。


鹿塩温泉上流、樽本の滝下の塩川河床

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入沢井かんらん岩体


かんらん岩は、鉄分を多くふくむ、重い岩石です。

関東山地から四国西部まで点々と分布するみかぶ緑色岩体は、かつて古太平洋の底に湧き出した巨大な溶岩台地(海台)のきれはしです。そのマグマたまりの底で、重い鉱物結晶が沈殿し、かんらん岩体ができました。

上の写真は、かんらん岩が変質した蛇紋岩(じゃもんがん)です。

高所の集落


入谷から見た梨原集落。
三波川変成帯の黒色片岩・緑色片岩・緑色岩・蛇紋岩は風化すると粘土化し、地すべりの原因になります。
地すべりは、高所に平坦地をつくります。
地すべり跡地は、谷底のような土石流の危険がなく、南向きの緩傾斜地は冬の日当たりがよく、粘土質の土壌は肥沃なため、古くから集落が発達しました。

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C断層鞍部・秋葉街道コース

鹿塩市場〜博物館
中尾〜ビガーハウス

鹿塩市場〜城山


鹿塩市場から塩川を渡り、河合〜中尾へ上る道は、中央構造線の断層鞍部列を縫う古道です。
⇒最新画像

河合断層鞍部


河合の中央構造線断層鞍部に断層地形の解説板があります。
⇒河合断層鞍部の解説

清水下部


清水下部の鳥倉・夕立神展望台への分岐点からは、大西山腹のマイロナイトの大崩壊や、一直線に続く青木の断層線谷がよく見えます。
⇒最新画像(2005/04/27)
⇒地形模型
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中尾


中尾からビガーハウスへ下る道が中央構造線を横切る地点から、青木川の断層線谷が遠望できます。
その地点・地蔵峠・博物館付近の中央構造線通過点を結んでみると、断層面とその傾きがイメージできるでしょう。

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D鳥倉・上蔵コース

博物館〜夕立神展望台
博物館〜小渋温泉

夕立神展望台


夕立神展望台がある鳥倉山は、固いみかぶ緑色岩が侵食され残ったピークです。現地解説板があります。
途中の桐の窪沢源頭では、三波川結晶片岩が、道路ぞいに露出しています。

⇒夕立神緑色岩解説


左:荒川岳、中:赤石岳、右:大沢岳

展望台からは、南アルプス主稜線の山々が望めます。南アルプス主稜から静岡側にかけての岩石は四万十帯に属します。

豊口山


展望台と主稜線の間は秩父帯です。豊口山は、かつてのサンゴ礁が付加した石灰岩の山です。

上蔵


赤石荘入口付近から上蔵(わぞう)集落を見ると、地すべり跡に立地していることがよく分かります。

地すべりは、中央構造線の外帯側の三波川帯で多発します。
地すべりは、洪水の心配がなく日当たりがよい山麓に緩い斜面をつくり、土を蓄え、水を供給します。大鹿の古い集落のほとんどは、南アルプス側の、地すべり地形を利用しています。

⇒地形模型
(開かないときは「右クリック→新しいウィンドウで開く」)

上蔵の福徳寺は、少なくとも中世にさかのぼる建物です。仏像の台座には平安時代末の年代が記されています。上蔵には南北朝時代の領主の館の跡もあります。
大鹿は、後醍醐天皇の第八皇子の宗良親王が長く滞在し、南朝の東国における拠点でした。吉野から中央構造線を東へたどると伊勢をとおり、大鹿・諏訪から東信濃へ出られます。
江戸時代には、水窪〜天竜河口を結ぶ赤石構造線と結び、諏訪〜浜松を結ぶ「秋葉街道」という信仰の道になりました。
このように中央構造線は昔から、交通路に利用されてきました。

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E安康露頭・青木川コース

博物館〜地蔵峠

城の腰の中央構造線小露頭


博物館から歩いて行ける露頭。
小規模だが、断層鞍部地形と断層との関係がセットで分かる。

⇒詳細と道順

中央構造線大沢鞍部

この大沢の断層鞍部は、活断層の証拠とされています。
断層鞍部は侵食による地形で、活断層かどうかはわかりません。
活断層の判定には、地形をずらしているかどうかに注目します。

ここでは断層丘陵(オレンジ色のマーク)が、左から延びてくる尾根(青いマーク)に対して、手前にずれ動いたように見えます。
このような、最近の断層活動を示す地形を「変位地形」と呼んでいます。
大河原から水窪にかけて、同じ方向へのずれを示す変位地形が、たくさん見つかっています。

⇒地形模型
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引の田の地すべり地形

上蔵と同じように、川床から上がった山麓に、地すべりによる平坦面ができています。ここには、江戸時代の建築様式をそのまま残した、重要文化財松下家住宅があります。
引の田の石垣は、みかぶ緑色岩体の、かんらん岩でつくられています。これらのかんらん岩は、背後の北の原からすべり動いてきたものが利用されていると思われます。北の原の土の色は、風化したかんらん岩と同じ「鉄さび色」をしています。

同じ青木川の内帯側では、土石流による和合や唐沢の扇状地に集落があります。

地質のちがいによる地盤変動(人が被害を受ければ「災害」)
地盤変動による地形のちがい。
地形のちがいによる集落立地のちがい。
土壌のちがいによる作物のちがいなどを比較してみるとよいでしょう。

中央構造線安康露頭


2004/04/05撮影
ワイド画像(1.12MB)

安康(あんこう)露頭では、赤石時階の断層粘土帯が2列あります。
外帯から内帯へのし上げる低角の衝上断層群もよく見えます。


地蔵峠に向って国道を行くと、峠の登りにかかる直前に橋があり、「露頭入口」という標識があります。
そこから沢ぞいに歩き道を500m下ると、青木川の向こう岸に露頭が出ています。
もし入口を行き過ぎたときは、ゲートが閉じた林道分岐点があるので、引き返して最初の橋が露頭入口です。

⇒説明