中央構造線の両側は石がちがう


中央構造線を境に、内帯の 領家(りょうけ)変成帯 の岩石と、
外帯の 三波川(さんばがわ)変成帯 の岩石が接しています。

両帯の岩石は、中央構造線の両側に、関東から九州まで、並んでつづいています。

三波川変成帯

三波川変成帯の岩石は、板を重ねたような「結晶片岩」類です。ジュラ紀の付加体の岩石が、白亜紀に地下15〜30kmで、低温高圧型の変成岩になり、のちに地表に露出したものです。
(「付加体」とは、大陸プレートの岩石のうち、海洋プレートの沈み込みにより、海洋プレートの表層がはぎとられ、大陸につけ加わった岩石のことです。付加体は、日本列島の土台になっています。「変成岩」とは、岩石が、もともとできたときとは異なる温度や圧力を受け、固体のまま化学反応が進み、もとの岩石とは異なる鉱物の組み合わせになったものです。付加体や変成帯については、別項)

佐賀関(大分県)


日本鉱業佐賀関精錬所


黒色片岩(泥質片岩)と砂質片岩の互層
幸崎(こうざき)と佐賀関(さがのせき)の間の佐賀関半島北岸の海岸線に露出しているのは、ほとんど黒色片岩。


黒色片岩(泥質片岩)と砂質片岩の互層
もともと砂岩と泥岩の互層だったものが、低温高圧変成作用を受けて結晶片岩になったもの。

佐田岬半島(愛媛県)


佐田岬灯台
佐田岬(さたみさき)灯台が載っている岩石のみ黒色片岩。他はすべて緑色片岩。佐賀関から豊予海峡を渡った四国側の佐田岬半島は、ほとんど緑色片岩でできている。


佐田岬半島南岸の大ハヤの赤鉄石英片岩
海岸に赤色チャートが変成を受けた赤鉄石英片岩が露出している。上に重なっているのは緑色片岩。


三崎港付近の海岸
海岸に緑色片岩が露出している。


三崎港付近の海岸
上と同じ場所。片理面の走向N70°E,傾斜46°S。


面の向き(走向)と角度(傾斜)のあらわし方。
層理面(地層の堆積面)、片理面(変成鉱物が並んだ面)、節理面(割れ目)、断層面など、あらゆる「面」の向きと角度をあらわせます。


三崎神社の石垣
神社の石垣も、緑色片岩の転石を積んだもの。

四国中央部(愛媛県〜徳島県)


別子山村銅山川の緑色岩


祖谷口の砂質片岩と黒色片岩の互層
四国中央部には、結晶片岩や緑色岩体が広く露出しています。吉野川の河床には、阿波池田付近で緑色片岩、祖谷口(いやぐち)〜大歩危(おおぼけ)で砂質片岩や黒色片岩が、よく見えます。

徳島城(徳島県)


徳島城の城壁
徳島城が載っている小山は、ほとんど緑色片岩でできています。城壁もすべて現地の 結晶片岩でつくられています。城壁の石のほとんどは緑色片岩で、わずかに石英片岩が混じっています。

沼島(兵庫県)


沼島(手前)と淡路島(奥)
中央構造線は、淡路島の南岸すれすれに通っています。南岸沖の沼島(ぬしま)は、三波川変成帯の結晶片岩でできています。海岸の岸壁は全体に青〜黒っぽく見えます。淡路島側の「和泉層群」は褐色に風化するので、フェリーからも岩のちがいが感じられます。

和歌山城(和歌山県)


和歌山城の城壁(緑色片岩)

和歌山城の城壁(緑色片岩)
紀伊水道を渡った紀伊半島側の和歌山城も、緑色片岩の小山に建っています。豊臣秀長時代の城壁は、すべて結晶片岩です。ほとんど緑色片岩で、わずかに石英片岩が混じっていることも、徳島城と同じです。


岡公園の黒色片岩
和歌山城に隣接する岡公園に、黒色片岩が露出しています。この岩は、褶曲の冠頂部 (上に凸のもっとも高い部分)がきれいにあらわれて、円筒を切った上半分のような形で露出しています。褶曲軸が、東に向かってプランジ(低下)しています。


褶曲のあらわし方
冠頂面と底面、褶曲軸、褶曲面、褶曲軸のプランジなどで、あらわします。


岡公園の点紋緑色片岩
岡公園の頂上に緑色片岩が露出しています。白い斑点は、変成度が高い結晶片岩に生じた「曹長石(ナトリウム長石)」の結晶です。曹長石が生じている結晶片岩を「点紋片岩」といいます。黒色片岩に点紋が生じたものは、炭化物が混じって、黒い点紋になっていることが多いようです。

曹長石点紋

新和歌浦(和歌山県)


蓬莱岩
新和歌浦は、おもに黒色片岩です。蓬莱岩は砂質片岩と黒色片岩の互層です。



田ノ浦にかけて、共役小断層(同じ力により2方向に生じた断層)や、雁行石英脈(カタカナの「ミ」の字や漢字の「杉」の字の右側の“つくり”の部分のように並んだ石英脈)がみられます。


田ノ浦
黒色片岩の薄い層をはさんだ砂質片岩。


浪早崎
浪早崎から北は緑色片岩になります。双子島にかけて、よく露出しています。

櫛田川(三重県松阪市飯高町)


松阪市飯高町七日市の櫛田川河床の黒色片岩
櫛田(くしだ)川は、奈良県境の高見峠から粥見までは、中央構造線から1000〜2000メートルほど南の三波川変成帯を、中央構造線とほぼ平行に掘り込んでいます。松阪市飯高町月出(つきで)には、国の天然記念物に指定された中央構造線露頭があります。

二見浦〜鳥羽(三重県)


二見浦
夫婦岩の大きい方の岩や、海岸の陸側の岩は、すべて三波川変成帯の緑色片岩です。大きい方の岩と、こちら岸の岩の片理面(板を重ねたような面)の向きを見ると、同じ向きに一致しています。もとは、ひとつながりの岩だったものが、波に侵食され、海面上に頭が残ったものが夫婦岩であることがわかります。小さい方の岩は、岩種も片理面の向きもちがうので、据え直したものと思います。


鳥羽湾の三つ島
湾内の三つ島や、伊良湖水道の答志島、坂手島、菅島、神島は、すべて三波川変成帯の岩石でできています。

菅島のかんらん岩は、砕石用に大規模に採掘されています。鳥羽のフェリー乗り場からよく見えます。


鳥羽水族館向かいの蛇紋岩
鳥羽水族館から、国道と近鉄線を越えた向かいに、蛇紋岩が露出しています。

赤石山脈(長野県)


鹿塩温泉
大鹿村鹿塩温泉前の河原に緑色片岩が露出しています。


鹿塩温泉上流
鹿塩温泉のすぐ上流、大鹿第二発電所そばの黒色片岩。この場所は、残念ながら河床保全工事により領家花崗岩が河床に敷き詰められ、中央構造線の両側の岩石のちがいが一目でわかるという、地学的価値が失われてしまいました。将来、出水により花崗岩れきが流れ下れば、鹿塩温泉前の緑色岩と緑色片岩の河床にも、花崗岩が混じりこんでしまうと思われます。


塩川河床
発電所のやや上部に、ほぼ水平な(いわいり)衝上断層があります。断層を境に、下側の結晶片岩から上側の緑色岩体に変わります。蛇紋岩の小岩体もはさみこまれています。境界付近は地すべり地帯になっています。塩川の河床は、ほとんど緑色岩の転石です。


夕立神の緑色岩体
夕立神展望台がある鳥倉山は、硬い緑色岩が侵食から残った高まりです。



小瀬戸峡
長谷村の小瀬戸峡は、赤石山脈から流れる三峰(みぶ)川が、立ちはだかる緑色岩体を横断して、深く掘り下げています。岸壁には蛇紋岩が大規模に露出しています。遠方は仙丈岳。

長瀞(埼玉県)


上長瀞の黒色片岩
三波川変成岩は、「長瀞(ながとろ)変成岩」と呼ばれたこともあります。三波川変成岩の、代表的な露出地です。一帯の河床は天然記念物に指定されています。


引きずり小褶曲がみられる黒色片岩(上長瀞)


緑色片岩(埼玉県立自然史博物館付近)


長瀞の緑色片岩


領家変成帯

領家変成帯の岩石は、高温型の広域変成岩と、花崗岩などの貫入岩(地下でゆっくり冷え固まった火成岩)です。

領家変成岩は、ジュラ紀付加体の岩石が、白亜紀に地下10km〜15kmで高温型の広域変成岩になり、のちに地表に露出したものです。泥岩が高温型の広域変成を受けたものは、高温変成鉱物の黒雲母が生じ、白っぽい部分と黒っぽい部分が縞々になった「片麻岩」になっています。変成度が高くなると、菫青石(きんせいせき)や珪線石(けいせんせき)をふくむようになります。
(付加体や変成帯については、別項)

領家変成岩


駒ヶ根市大田切川の片麻岩(中央アルプス)


高遠町三峰川河床(伊那山地)の片麻岩の露岩。
泥を洗い流して見やすくしています。

同じ地点から採取した標本。菫青石をふくむ「菫青石黒雲母片麻岩」です。

領家花崗岩・斑れい岩

白亜紀の花崗岩は、東北日本や、西南日本内帯に広く露出しています。そのうち、領家変成岩が露出している地域に分布する花崗岩を「領家花崗岩」といいます。花崗岩よりも有色鉱物を多く含む、斑れい岩もみられます。
(マグマのでき方や、マグマから固まった「火成岩」については、別項)

八栗山(香川県)


高松東方、八栗山の花崗岩採石場
庵治(あじ)石の名で採掘されています。右側のゴツゴツした山頂には、新第三紀の瀬戸内火山岩類の安山岩が載っています。

信貴山(奈良県)


信貴(しぎ)山門の領家古期花崗岩



信貴山境内の瀬戸内火山岩
信貴山も、八栗山のように、境内から上は瀬戸内火山岩類におおわれています。


断食道場付近の火山角れき岩
瀬戸内火山岩類の最下部の火山角れき岩。花崗岩の上に、新しい時代の堆積岩や火山岩が重なっているということは、少なくともその時代には、花崗岩が地表(海底を含む)に露出していたことを示します。

生駒山(奈良県)


生駒宝山寺の岩塔は、領家新期花崗岩


生駒山頂付近の斑れい岩
生駒(いこま)山頂は遊園地と通信施設で人工改変され、生駒斑れい岩は、わずかの露頭と転石が、かろうじて見られるだけです。

櫛田川(三重県)


松阪市飯南町粥見の櫛田川河床
櫛田川は飯南町粥見(かゆみ)で中央構造線を横断し、河床の露岩は三波川変成岩から領家花崗岩に変わります。粥見から下流へ向かって、花崗岩類が連続して露出しています。

領家古期花崗岩(畑井トーナル岩)

領家古期花崗岩(横野花崗閃緑岩)

中央アルプス(長野県)


木曽山脈(中央アルプス)
赤石山脈側から撮影。手前の雪が無い山は伊那山地で、撮影地点と伊那山地の間に中央構造線が通っています。雲の下は伊那谷。中央アルプス正面の、お椀の底のような地形は、2万年前に氷河が削った南駒ケ岳摺鉢窪カール。


南木曽町三留野(みどの)の木曽川
河原の転石のほとんどは花崗岩。この場所の河床の露岩は、ふつうは領家花崗岩にはふくめない上松(あげまつ)花崗岩ですが、転石には、中央アルプス稜線の領家花崗岩がたくさん見られます。


領家新期花崗岩(伊奈川花崗岩)、三留野の木曽川転石


領家新期花崗岩(木曽駒花崗岩)、三留野の木曽川転石


飯島町与田切川
摺鉢窪カール直下のオンボロ沢。モレーン堆積物(氷河末端の岩屑)が大雨のたびに川筋の岩盤を砕きながら流れ下っています。転石のほとんどは花崗岩。苦鉄質岩と変成岩が少しみられます。


オンボロ沢河床の領家新期花崗岩(伊奈川花崗岩)


和泉層群

紀伊半島西部から西では、中央構造線沿いの内帯側の幅10kmほどは、「和泉(いずみ)層群」が領家変成帯をおおっています。

和泉層群は、白亜紀の左横ずれ断層運動にともない、溝のように落ち込んでできた海にたまった地層です。アンモナイトや二枚貝の化石が知られています。おもに砂岩と泥岩の互層で、ところどころに凝灰岩層をはさんでいます。

そのため、紀伊半島西部から西では、中央構造線は和泉層群と三波川帯の境界断層になっています。

多奈川〜加太海岸(大阪府・和歌山県)


和泉層群の砂岩泥岩互層(多奈川小島)


「鬼の洗濯板」(多奈川小島)


友が島(加太ノ瀬戸)
海岸のれきのほとんどは、和泉層群の砂岩。花崗岩れきと、真っ白な凝灰岩れきが少しみられます。紀淡海峡の友が島は和泉層群の島。和泉層群は、淡路島南岸〜鳴門〜阿讃山地〜四国西部まで続いています。大分の大野川層群が和泉層群の西端だという考えもあります。


凝灰岩(加太深山湾)
左側の白い地層が凝灰岩層。

和歌山城の和泉砂岩


和歌山城の城壁増設部分(内帯の和泉砂岩)
和歌山城は、三波川変成岩の小山に築かれ、豊臣秀長時代の城壁は、すべて現地の三波川変成岩(おもに緑色片岩)が使われています。しかし浅野氏や徳川氏の時代になって増設・改修された部分は、紀ノ川を北に渡った内帯側の和泉層群の砂岩が使われています。城が建つ山にあった利用できる岩石は、すべて使い尽くしたのでしょう。浅野時代の石材には刻印が彫られています。


和歌山城の城壁増設部分(内帯の和泉砂岩)
緑色片岩の地山(ハンマーから左下にかけての部分)に和泉砂岩が積まれているところもあります。石材が真四角に切られ、すきまなく積まれているのは、徳川時代になってからの工事でしょうか。緑色片岩では、このような加工はできないでしょう。


和歌山城の城壁(内帯の和泉砂岩)
堀の内側の石組みは、和泉砂岩で強固に補強されています。しかし堀の外側の石組みは緑色片岩のままです。

淡路諭鶴羽(ゆずるは)山地


南あわじ市福良港の和泉層群
この地層は、上下が逆転しています。

鳴門撫養石


徳島城の城壁(内帯の和泉砂岩で補強した部分)
徳島城は三波川変成岩の小山の上に築かれ、城壁の石はすべて三波川変成岩(おもに緑色片岩)です。しかし、 最近城壁が崩れたのか、蛇かごで補強された部分があり、蛇かごの詰め石は、吉野川対岸の内帯側の和泉層群の 砂岩が使われています。鳴門の和泉砂岩は、撫養(むや)石とよばれ、建築材として利用されています。


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