中央構造線の“もと”になった断層

東アジアには、白亜紀に形成された大規模な横ずれ断層群が見られます。これらの断層は、中国山東省のタンチョンと安徽省のルーチアンを結ぶ「タンルー断層」の名をとって「タンルー断層系」と呼ばれます。のちに中央構造線になった断層も、タンルー断層系の一部として始まったと考えられます。

これらの断層ができた当時は、日本海はまだなく、日本列島はアジア大陸の一部です。中央構造線の位置も、当時は、この現在の地図とはちがいます。

白亜紀前期にアジア大陸東縁には、「イザナギプレート」が南から北へ、速い速度(たとえば20cm/年)で沈み込んでいました。イザナギプレートは、アジア大陸の下に完全に沈み込んでしまい、いまは地表には存在していません。白亜紀後期には、イザナギプレートと太平洋プレートの境だった中央海嶺が沈み込み、それ以後は太平洋プレートが沈み込んでいます。なおフィリピン海プレートは、古第三紀に生まれ、新第三紀に沈み込みが始まりました。

イザナギプレートが、大陸の縁に対して斜めに沈み込んでいたため、大陸の縁に北へ引きずる力がかかりました。そのため大陸の東部に、何列もの左横ずれ断層群ができました。

現在のジュラ紀付加体の分布をみると、大陸北東部に片寄っています。大陸東縁のジュラ紀付加体の内部にも横ずれ断層ができ、それらの断層によりジュラ紀付加体のうち海溝寄りの部分が北へずらされていったという考えがあります。この図は、日本列島でも、ジュラ紀付加体をずらした断層は、中央構造線の前身だけでなく何列かあったという考えで描かれています。
(現在のジュラ紀付加体が、もともとどこにあったかは、描かれていません。外帯と内帯の、ジュラ紀付加体の食いちがい量は、最大2000kmという見積もりもあります)

文献
大塚勉(1999) 『東アジアの白亜紀変動と中央構造線の始まり』大鹿村中央構造線博物館講演記録


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